映画「太陽を盗んだ男」あらすじ感想 退屈だから原爆を作った物理教師の話

監督:長谷川和彦

脚本:長谷川和彦、レナード・シュレイダー

出演:沢田研二、菅原文太、池上季実子

1979年に公開された長谷川和彦監督の映画「太陽を盗んだ男」。

内容は原爆を使って政府を脅すというもので、2018年キネマ旬報8月上旬号「1970年代日本映画ベスト・テン」では『仁義なき戦い』を逆転し、第1位に選ばれた映画好きからはカルト的人気を誇る傑作。

原爆を使ったエンタメ映画なんて今では絶対に作れないし、当時は興行的に失敗だったみたいだけど、そんな撮影陣の覚悟があったからこそパワーがある映画。

退廃的な空気感と行き場のないエネルギーを抱えてなんでもいいから爆発させようとするストーリーは「タクシー・ドライバー」のようにも思える。

あらすじ

中学校で物理を教えている城戸誠(沢田研二)は、「風船ガム」というあだ名で呼ばれていた。

とにかく何かを持て余し休み時間は一人で壁当てをしたり、フェンスによじ登ったりしていた。

ある日誠のクラスは遠足のバスでバスジャックに巻き込まれる。

「死」に対する恐怖感もあまりなく、非日常を心のどこかで楽しんでいる誠はそこで出会った刑事、山下(菅原文太)とともに捨て身の行動をし、生徒たちの命を守ることに成功する。

そしてその騒動が落ち着いたある日、誠は唐突に原子力発電所からプルトニウムを盗み出すことを決行。

自宅で実験を重ねてついに原爆を完成させてしまうのだった。



原爆が完成し、誠は金属プルトニウムの欠片を仕込んだダミー原爆を国会議事堂に置いて、日本政府を脅迫することを思いつく。そしてバスジャックの時に出会った山下に連絡し「野球のナイターを最後まで放送しろ」と要求する。誠はその要求を飲ませるために説得し、テレビでナイターが完全中継されるのを確認すると歓喜した。

「俺は9番だ」と誠は山下に名乗る。核の保有国が8つで自分はその9番目という意味だと。

原爆が完成したはいいものの、要求が思いつかなくなってしまった誠は普段聴いているラジオで「原爆を持ってるんだが、なんでも叶うとしたら何がしたい」と質問する。ラジオDJの沢井零子が「ローリング・ストーンズ来日公演なんてどうかしら」と言うと、次の要求をそれに決め山下に連絡する。





ストーンズの公演が決定し新聞でも報道されると、誠は次に原爆製造のために作った借金の返済を迫られたため五億円を要求する。

しかし電話の逆探知でデパートの屋上にいることが警察にばれてしまい、デパートは封鎖され誠は閉じ込められる。

「原爆のスイッチの切り方を教えるから封鎖を解け」「五億円を屋上からばらまけ」この二つの指示により、誠は混乱を招き、なんとか群衆の中に紛れ逃げ込むことに成功する。現金がばらまかれ通りはパニックになっていたのだ。

ビルの窓ガラスを割って侵入し原爆を再び取り戻した誠は車で暴走してなんとか逃げ切り、また起爆装置を入れる。

ローリング・ストーンズ公演の日、山下は誠に銃をつきつけられ屋上へと向かい、二人は直接対決する。銃弾を何発も浴びた山下は誠を引きずり転落。しかし、無事に生還したのは誠だけだった。

原爆を抱えながらよろよろと歩く誠。放射能を浴びて自身の体も蝕まれていく。やがて30分が経過し、原爆は爆発する。

感想:虚無感と孤独とコミュニケーション願望

誠は結局何がしたかったのかというと、何もない。ただ、漠然と社会と関わりたかったのかもしれないし、誰かと話したいという気持ちがあったのかもしれない。あるいはもっと漠然と持て余していた精神的なエネルギーを爆発させたかっただけなのかもしれない。しかし一番この映画を見て印象的だったのは政治的意図も何もないテロに強く人間味を感じてしまったということ。誠に原爆を作らせた原動力は強いて言うなら「誰かと関わりたい」という極めて普遍的なコミュニケーションに対する渇望だったんじゃないかと思う。

原爆が完成したことにより部屋の中で踊り狂う誠のバックでBob Marleyの代表曲「Get up, Stand up」が流れるシーンがあるが、この曲は「自分たちの権利のために立ち上がれ」「戦いをあきらめるな」と歌われており、明確な目的を持って政府を脅すわけではない誠に対する痛烈な皮肉になっている。

原爆というテーマを扱っておきながら、原子力発電の賛否とか、そういうものが全くなかったのが個人的にはなんだか良かった。それは社会に対しての反抗的な姿勢よりも、ひたすらに孤独で暴走する人間とその人間が抱える虚無感の方がリアルに感じるからかもしれない。