私は自分のことを悪い意味で「普通ではないのかもしれない」と幼いながら思っていました。
今でも覚えている原体験として、幼稚園の時、紙のクリスマスツリーを組み立てて作った時のことを鮮明に覚えています。
クリスマスツリーの型はできていて、我々園児はその紙に色を塗ってちょこっと組み立てるだけなのですが、私は自分のクリスマスツリーを真っ赤に塗りました。
大した意味はなくて、夢で見た赤いクリスマスツリーが何だかかっこよくて覚えていたからとか、理由はそんな感じだったと思います。
あとは先生の「自分だけのクリスマスツリーを作ろう」みたいな言葉を、変に解釈して、自分が思う理想のクリスマスツリーを作っていいんだ、と思ったのだと思います。
作ったクリスマスツリーたちは幼稚園の後ろにあった棚の上に全員分飾られることになるのですが、緑の中に赤い異質なツリーが目立っていました。
私は子供ながらすごく恥ずかしかったし、「なんで緑にしなかったんだろう」と強く思いました。
思えばその頃から自分に対してひどく自信がなかったような気がします。
そんな原体験もあり、私は学生時代から「いかに普通の人間っぽくできるか」ということを考えていました。
こう言うと、「周りと違って才能がある特別な人間だと思い上がっていた」と思われるかもしれませんが、その逆で、「自分は油断をすると、不器用で能力が低いのが露呈する」と常々思っていました。
周りのみんな、自分よりも「普通」の感覚を持っている。自分の感覚は信用できない。そんな風に思っていました。
そんなこともあってか、せめて肩書きだけでも普通っぽいものを手にしないと、と思うようになりました。
そして、その普通とは、高校生なら「難関大学に行く」でしたし、大学生・社会人なら「大手企業に入る」でした。
私の頭脳では旧帝大のようなトップクラスの大学に行くことはできなかったのですが、それでも必死に勉強して誰もが知っている高学歴と呼ばれる大学に何とか入りました。
受験期は朝6時に毎朝起きてましたし、Twitter、LINEなどのSNSも高3のはじめに消しました。ご飯、筋トレ、勉強。高3の時はこれだけしかほとんどしていなかったです。
それも「⚪︎⚪︎大学に行ってこんなことを学びたい」とか「⚪︎⚪︎大学でモテて遊びたい」とか、そういうモチベーションではなく、「普通の人間にならないと」。そのモチベーションで動いていました。
ネガティブな原動力で、今思えば不健全だった気もします。
大学生で就活をする時も、「普通になりたい」という思いはもちろんあったので、大手企業に行きたかったです。
ただ、就活はテストの点数ゲーではありません。
面接もガクチカも、正解っぽいのはあるけど、完全な正解が存在しない世界です。
「この回答はこういう会社ならいいけど、こういう場合はあまり良くない」、そんな無数の正解がある世界で私のあまり出来の良くない頭脳は混乱し、完全にやる気を消失しました。
今思えば、自分の中の最適解を準備し、そこで合わなかった企業はどうせ自分とはミスマッチなんだからいいじゃん、と思います。
でも当時は、「自分」というものを全く信用できていない状態でしたし、「自分」というものがとにかくありませんでした。
誰かが作った「普通」に憧れ、そこに食らいつく毎日です。
就活という世界が私にとってはとにかく意味不明で、完全にやる気をなくした私は、就活を辞め、インターンをしていた会社に正社員として入社することにしました。
私のような空っぽの大学生を採用していただいたことに、今でも本当に感謝しています。
社会人になってからも、「大手企業に行きたい」という気持ちはどこかでありました。
それもあり社会人3年目に大手企業に転職をしました。もちろん他にもスキルアップのためなど、転職理由はいくつかありましたが。
その時は、大学時代と比べて、しっかり仕事を頑張ってきたという経験と、それなりに成果が出て自信もついてきていました。
ベンチャー企業から大手企業へと転職し、年収も100万円ほど上がりました。
でも、待っていたのは残業と、優秀なメンバーに囲まれてじわじわと積み重なる劣等感でした。
社会人としての基礎力の低さを自分で感じ、周りの人はみんな優秀だなと思う毎日です。
だんだんと蓄積する劣等感。それでも食らいつき、土日も働き、誰よりも残業をしてカバーしようと思いました。
でも、たまにふっと思います。前職で伸び伸びと自信を持って働いていた頃の方が、年収は低かったけど幸せだったんじゃないかと。
そして最近になりやっと気づきました。私は人生の選択をずっと「他人から見てまともそうか」という軸でしか意思決定していなかったことに。
そもそも「普通」というのは私にとっては有名大学に入り、大手企業に就職し、仕事が順調で、友達がいて、恋人がいてという状態でした。
これさえできれば自分は幸せになれるんだと信じて疑わなかったのです。
でも、その全てを手にしても幸せにはなれないことを身をもって知りました。
今考えれば当たり前です。その幸せの定義は自分で作ったものではなく、何となく世間で言われているものの繋ぎ合わせだからです。
自分というものをもっとよく知って、自分は何をしている時が幸せなのか、そういう自分の声にもっと真剣に耳を傾けないといけない、25歳を過ぎたあたりでやっとそのことを知りました。
こういった類のことは、いくら本やネットで見ても刺さらず、自分の中で実感を伴って知らないと信じられないので、「普通」の状態を一度実現し、それでも幸せにならなかったことを体験できたのは良かったなと今では思います。
私は、文章を書くのが好きで、ぼやっとした感覚に近い言葉を見つけ出せた時に一種の快感を感じます。
だから、こうしてほとんど収益にもならないブログを必死に書いています。
「ブログはオワコン」「SEOはオワコン、今はAIの時代」そんな言葉を大量に耳にしますが、それでも書けるのは自分が好きだからであり、「普通」を諦めて、他人の言葉に踊らされない感覚が少しずつ芽生えたからなのかなと思います。
少し前の自分だったら、こういったネガティブな発信を受けて、このブログもきっと辞めてしまってたことでしょう。
今、自分が一番実現したいことは会社員を辞めて好きな仕事で好きな時に週2〜3くらい働く生き方です。
いわゆるセミリタイアです。
こうして収益にならなくても楽しいと感じるブログを書いたり、勉強を教えるのが好きなので家庭教師とかしてみたいなと思います。
あとゲーム開発にも興味があります。構想は今も少しずつ考えています。
そのために今は仕事を辞められるための資産形成に力を入れる毎日ですが、こうした「FIRE願望」も世間的には叩かれたりもしています。
「甘え」「仕事をしていなかったら人間はダメになる」「そんなにお金を貯めて何が楽しいんだ」「もっと金を稼いで使って経済を回せ」とか色々です。
かつて、「普通」に憧れていた自分だったら、こういう声をSNSで耳にして一瞬で心が折れていたと思います。
でも、そんな声を耳にしても心は折れず、セミリタイアを目指して頑張る日々はもう1年ほど続いています。
「普通」を目指し、完全に挫折してからようやく自分の人生が始まったなと、アラサーになってから思えるようになりました。
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