残業80時間時代の生活と、省エネで生きることを決めたその後の生活について。

残業80時間(月)というと、どんなイメージでしょうか。

一般的には過労死ラインと呼ばれる残業時間であり、もちろん、もっと過酷な環境で頑張っている方もいるとは思いますが、私にとってはめちゃくちゃキツい労働時間でした。

しかも私の会社はみなし残業が35時間含まれているのと、土日に働いた分は勤怠がつけられないため、タダ働きでした。時給に換算したらコンビニのアルバイト以下でしょう。

なぜこんなことになったのかというと、私の部署はWeb上にアップされてる記事を編集・制作する仕事なのですが、記事を見ていた上司が休職することになって別の人に代わり、とても細かく厳格なチェックになったからです。

もちろん、間違った情報を発信するわけにはいかないので、チェックが厳格になること自体は悪いことではないのですが、枝葉末節にこだわるような指摘ばかりでした。

例えば記事内のイラストも作っていたのですが、数字の間だけ文字の間隔が少し狭いだけで指摘を受け、作り直しになったり、読点の位置だったり、挙げれば色々ありますが、端的に言うと「それ誰が気にする…?」みたいな内容が多かったです。

それ自体は、指摘を受けて直せば良いだけなので悪くはありません。

ただ、その人がかなり怖いことで有名だった(別の人をミーティングでガン詰めして、恐怖でその人の手が震えてたのを見たことがあります)ので、担当者としてはそういう指摘を受けること自体がたまらなく怖く、指摘を少しでも減らすために何重にもチェックしなければいけませんでした。

また、その人に確認だしをする際に、Googleドキュメントのリンクを共有するのですが、編集権限を付与し忘れるとめっちゃ怒られます。なのでそれも、強迫的と言えるほど何回も確認してから出してました。

そういう細かいチェックを重ねることで1記事を作るのに何時間もかかることになりました。

そして、そのチェックするモチベーションは「良いものを作ろう」ではなく、「恐怖」からきていたので、精神的にもどんどんすり減り、疲弊していきました。

目標本数のプレッシャーや、記事を作るのにも多くの社外の人と調整が必要なため、そのスケジュール管理にも追われ、頭が常にパンパンで、明らかに自分の脳みその処理能力を超えてる感じがしました。

それを上司に相談するも、業務量が減らされるわけでもなく、「残業しないで早く帰っていいからね」と言われるだけでした。

こっちだって帰りたい。帰れるものなら。それができないから目標本数を調整するなり人員を増やすなりして欲しかった。

それも叶わず、結局平日も21時〜22時ごろまで働きながら、土日でも埋め合わせをする毎日を繰り返すうちに、だんだん頭がぼーっとしてくるのを感じました。

そして、今までしたこともないような、しょうもないミスを繰り返すようになりました。

誤字脱字や、数字の計算間違いなど、それもたまたま間違えるというレベルでもなく、そういうのが何箇所も出てきてしまうようになりました。

今、当時の自分の仕事を見ると、普通に病的なミスの量だったと思います。

自分で言うのもアレですが、それまでは割とミスが少なく慎重派なタイプだったので、自分でも落ち込みました。それも、割と時間をかけて確認してから出しているのに、なぜか脳がミスに気が付かないのです。

時間もかかる上に、質も低い。仕事に対する自信を完全に喪失し、どうしたらいいか分かりませんでした。

他にも、会議で質問に答えたり、説明するのが下手になりました。

ただ質問として聞かれているだけなのに、責められているような気がして、そのまま思いついたままを説明することが怖かったのです。

自分の行動は全部間違っていて、そのまま正直に話したら詰められるんじゃないか」そんなことを思考しているうちに言葉が出ないのです。

ネットで「仕事 ミス 増えた」などで調べると、「うつ病」「適応障害」の文字が出てきました。

病院に行くと、「適応障害」と診断され診断書をもらいました。

休職しようかどうしようか…。悩みましたが、「こんな時にお金があれば俺はこんなにすり減らして働くこともなかったのに」と、誰に向けるでもない怒りが湧いてきました。

そして、休職して収入を減らすよりも、「もう絶対に仕事をしすぎない」ことを心に誓い、資産形成をしてこんな労働人生にいつか絶対別れを告げてやる、と誓いました。

金がないから仕事を断れない、評価に怯えて上司に何も言えない、みなし残業なんて労働者使い放題サブスクで搾取される。無気力だった当時、唯一エネルギーが湧くことが労働に対する怒りだったのです。

これが私の中でいつかサイドFIREをすると決めた理由の一つでもあります。

そこで、上司にもう一度「仕事を丁寧にしたいから仕事を減らしてくれないか」と懇願し、仕事を減らしてもらいました。

正直ミスしてばかりで印象が悪くなった私に大量の仕事を回すことは上司としても嫌だったのでしょう。

そこからは仕事にかなりの余裕ができ、家庭教師の副業をできるほどになりました。

弊社はみなし残業制のため、定時上がりで副業で稼いだ方が効率的です。手取りも増えました。

そして本業の仕事も、余裕ができてメンタルが回復したからか、しょうもないミスもなくなり、会議でも自分が思ったことをある程度自信を持って説明できるようになりました。

ただ、それでも仕事に対しては余裕があっても余裕がないフリを入念にして、仕事が増えすぎないように調整しています。あんまり働かないおじさんの爆誕です。

仕事が増えて余裕がなくなってミスが増えれば、周囲からの評価も下がり、自分自身のことも嫌いになることがわかりきっているからです。

そして、安定収入で得た給与をできるだけ多く投資に回して資産を作っています。

「お金がある」ということは幸せの絶対条件ではないと思いますが、大きな不幸は間違いなく回避できます。多分、資産が1億あったら私は適応障害にはなっていませんでした。

「若い頃はワークライフバランスなんて無視」など色んな意見があると思いますが、まずは自分自身が壊れないようにすることを忘れないで欲しいです。

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