社会人になって、好きな本や好きな音楽が変わった理由。センチメンタルなままでは許されない気がした。

目次

学生時代読んでいた本と、社会人になって読む本が明らかに変わった

社会人になってから、自分の好きな本や音楽が明らかに変わったのをずっと感じていました。

自分の中でもうっすら「なんでこんなに変わったんだろう」という思いはずっとありました。

学生時代に読んでいた本はというと…

学生時代読んでいた本

作家が被らないように適当に抜き出したのですが、坂口安吾の「堕落論」以外は小説です。

私は村上春樹の小説が好きで、長編小説は全て学生時代に読破しました。

他にも三島由紀夫とか谷崎潤一郎とか純文学系の作家が好きでした。

好きな理由は、言語化できなかった感情がドンピシャで、しかもかっこいい文体で書いてあり、痒いところに手が届くような感覚が気持ちよかったからです。

そして、自分の中の行き場がなかった感情が昇華されるような一種の快感を感じてました。

写真を撮り忘れましたが、「若きウェルテルの悩み」とかも、何度も読み返しました。

今思えばだいぶ恥ずかしい奴ですが、自分の失恋と重ね合わせたりして、読んでいました。たいそうな大恋愛をしたわけでもないのに(笑)

ちなみに私の読み方が恥ずかしかっただけで、「若きウェルテルの悩み」は本当に名作です。

読んだ感想はこの記事にも書いたので、気になった方は是非読んでみてください(ネタバレ注意です)

あわせて読みたい
ゲーテ「若きウェルテルの悩み」あらすじ感想 死に憑りつかれた青年の悲劇を描いた名作 有名人や人気の高い人が自殺すると連鎖的に自殺が増えてしまう「ウェルテル効果」をご存じだろうか。 これは絶望的な恋愛に苦しんだ末に自殺してしまうウェルテルが主人...

それに対して、今読んでる本はというと…

社会人になってから読んでいる本

我ながら、よくも悪くも普通の大人が読む本に趣向がガラッと変わったなという気がします(笑)

ちなみに株式投資やお金の本が多いのは、私がいつか会社員を辞めることができるだけの資産を早く築きたいと思ってるからです。

自分のような人間が、毎日平穏に生きていくためにはどうしたらいいんだろう?と、悩みに悩んだ結果たどり着きました。

あわせて読みたい
私が会社員を辞めることを決めた理由。お金よりも何よりも平穏な人生が欲しいと気づいた。 資本主義はリアル人生ゲームにおいて、「これを理解していないと絶対に勝てない」というその世界でのルールのように思います。 これを理解していないと、初見殺しに何度...

センチメンタルではいられなくなった

社会人になってから、強く実感することがあります。

それは、「センチメンタルではいられなくなった」ということです。

当たり前ですが、学生時代と違い、自分の人生に対してレールを引いてくれる人はいません。

「テストの点数で高得点を叩き出せば大丈夫」と信じていた学生時代と異なり、何を頑張ればいいのかという部分から自分の頭で考えなければいけません。

今まで室内の修行場で訓練してもらっていた自分が、本物の荒野に放り出されて、手のひらにコンパスを乗っけて右往左往しているような姿をいつもイメージします。

社会人になり、自分の力で自分や大切な人の生活を守らなくてはいけません。

そんな時に、自分の失恋や挫折のような、負の感情と向き合い、センチメンタルになっている場合ではなくなりました。

自分や、大切な人との何気ない日常を守るためにはお金が必要です。

スキルを身につけ、ブラック企業ではない職場を選択できる権利を手にしなければ、劣悪な環境で働くことになり、不幸になる確率が一気に上がります。

キャリアアップに役立つスキルとお金に関する知識、この2つを身につけなければ詰むということを理解しました。

そして、それらを身につける努力をするためには、安定したメンタルと気力が必要でした。

学生時代は「感傷中毒の患者禁断症状映画館へ走る」状態でしたので、映画や音楽、読書漬けの毎日で就活やキャリアのことなんて何も考えてませんでした。というか考えることがマジで嫌いでした。

就活という言葉にアレルギーを発症し、ガクチカなんて言葉を聞こうものなら嘔吐しかけていました。

なので、ロクに就活もせず、大学時代のインターン先の会社にそのまま就職しました。

そして、そこで社会人として働き、一人暮らしをはじめ、荒野に放り出されてから強烈な不安を覚えました。

「メンタルをやられて会社員を辞めることになったらどうしよう」「仕事で成果を出せなくて会社での居場所がなくなったらどうしよう」、もともと不安を感じやすい性格なのもあり、こんな考えが頭から消えませんでした。

そして、スキルアップのための勉強や副業に精を出すようになりました。

入社2年目くらいまでは、仕事が終わったらその足でカフェに行きブログを書いて夜遅くまで副業していましたし、最近でも別の会社で副業をしています。

そんなことをしていたら、映画や音楽を聴いて感傷に浸る時間はなくなりました。

正確には時間はあるのですが、自分のメンタルのために、意図的に自分の感情を深掘りしないようになりました。

先ほども触れたように、努力をするためには安定したメンタルと気力が必要だからです。

これが健全な成長なのか、人として寂しい変化なのか、今でもよく分かりません。

学生時代は、朝でも平気でRadioheadの「Let Down」とか聴いていましたが、今ではもう通勤中は絶対に聴けません。メンタルが引っ張られます。

Radioheadだけではなく、Joy Divisionやsyrup16gなんかも学生時代は大好きでしたが、社会人になってからあまり聴かなくなりました。

朝は、Panic! at the Discoの「High Hopes」とか嵐の「ワイルドアットハート」みたいな、自分のネガティブな本音の対義語的な音楽を聴くようにしています。

あとはそもそも音楽自体あまり朝に聴かなくなりました。通勤中はお金関係の動画をYoutubeで流したり、仕事につながる情報収集をすることが増えました。

今でもこの変化が正解だったのかは分かりませんが、センチメンタルでいられなくなったことで結果的にメンタルが安定したのは一つの事実ですし、変わった自分もそこそこ好きなので、受け入れて生きていくことに変わりはありません。

andymoriの「すごい速さ」を聴くと「そのセンチメンタルはいつかお前の身を滅ぼすのかもしれないよ」と、自分自身に警告していたのかもしれないなと、たまに思います。

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次