映画「時計じかけのオレンジ」は史上最強の映画ートラウマ級の魅力を改めて考える

監督・脚本:スタンリー・キューブリック

原作:アンソニー・バージェンス

出演:マルコム・マクダウェル、パトリック・マギー、マイケル・ベイツ

1971年に公開された荒廃したロンドンの近未来を描いたスタンリー・キューブリックの代表作「時計じかけのオレンジ」。

物議を醸した有名作かつ映画史に燦然と輝く激ヤバ映画なのだけど、そのヤバさだけがあまりにも強烈でこの映画がなぜ名作と言われているのか不思議な人もいるのではないかと思います。

今回は映画のあらすじと時計じかけのオレンジによって映画の世界に足を踏み入れた管理人が5個の魅力に分けて紹介していきます。

時計じかけのオレンジのあらすじ(ネタバレ有)

舞台は荒廃したロンドンの近未来。主人公アレックスを含む四人の不良グループは薬入りの牛乳を飲んで、ホームレスをリンチしたり、敵対している不良グループと抗争したり、衝動的な暴力に明け暮れていた。

車で逃げ回ったアレックスたちは今度老いた作家の家に押し入る。作家をリンチし、「雨に唄えば」を歌いながらその作家の前で彼の妻を輪姦する。

そんな中不良メンバーたちはアレックスがリーダー格であることに不満を持っていた。グループは今夜も大金持ちの女性が一人で住んでいる家に押し入り、アレックスはその女性を撲殺してしまう。しかし逃げる際、仲間にはめられアレックスだけが警察送りになってしまう。

実刑判決14年を言い渡されたアレックス。刑務所では聖書にも興味を示し、牧師に気に入られるほど模範囚として過ごした。そんなアレックスは早く出所するために「ルドヴィコ式心理療法」の実験台となることを申し出る。

このルドヴィコ療法では医師による投薬が行われた後、拘束衣を着せられ、まばたきができないように目を器具で固定され、ひたすらにバイオレンスシーンを見せられる。BGMはアレックスの大好きなヴェートーヴェンの第九だった。時間が経つにつれ過激なバイオレンスシーンにアレックスはどんどん気分が悪くなり、暴力行為や性行為、大好きな「第九」にまで凄まじい嫌悪感を覚えるようになる。この心理療法では、人格を改造し残忍なアレックスを「健全」にすることが目的だった。

ルドヴィコ療法はひとまず「成功」し、善良な市民に改良されたとされたアレックスは釈放された。しかし出所したものの、実家には下宿人が住んでおり、犯罪を犯したアレックスの居場所はもうなかった。

一人で街をさまよっていると、アレックスは昔リンチしたホームレスに出くわす。ホームレス仲間にリンチされ、ボロボロになったアレックスの元に現れたのは警察官になった昔の不良仲間で、アレックスは再びリンチされる。雨も降り、体力もなくなり助けを求めたのはこれまた以前暴力を振るった作家の家。奥さんは輪姦がショックで自殺し、作家は暴行の後遺症で車椅子生活になっていた。作家は「ルドヴィコ療法」に反対の立場をとっていたため試験者であるアレックスを招き入れた。作家は彼がルドヴィコ療法の試験者だとはわかっても、犯行時アレックスが仮面を被っていたため、自分をリンチし妻を輪姦した青年だとは気づかなかったのだ。しかし、お風呂の中でアレックスが「雨に唄えば」を歌うのを聞き、作家は彼が自分の人生をめちゃくちゃにした青年だと気付いた。作家はアレックスを監禁し、アレックスが吐き気を催す「第九」をエンドレスで流す。耐えきれなくなったアレックスは二階の部屋の窓から飛び降りる。

結果的にアレックスは一命をとりとめた。しかしその自殺騒動によりルドヴィコ療法は「非人道的な犯罪矯正」だと世間で言われるようになっていた。内務大臣は失脚を恐れ、アレックスに取材し、ルドヴィコ療法の「成功例」としてメディアに出るように求めた。その後、暴力的な場面を思い浮かべても全く吐き気も嫌悪感も催さないアレックスは自分が元の人格に戻っていることに気づき「完ぺきに治ったね」と邪悪な微笑みを浮かべるところでこの映画は幕を閉じる。

「時計じかけのオレンジ」の魅力

1. 人間の暴力性を完璧なアートに昇華

この映画では主要な人物全員利己的だ。青年たちはもちろん、自分たちの体裁ばかりで青年の犯罪がどうして起こるのか、本質的な問題と向かい合おうとしない政府、更生委員。子供が非行を働いていることに薄々気が付いているのに何もしないで目を瞑る両親。こんな人々の姿を完璧なアートに昇華することでキューブリックは人間の暴力性の限りを伝えたかったのだと思う。

2. 「時計じかけのオレンジ」というタイトルに込められたテーマ

この映画のタイトルでもある「時計じかけのオレンジ」は「人格矯正された青年」のことだ。そして人格を矯正させることに失敗し、アレックスが凶暴な元の人格に目覚めるラストから、暴力性を持った人間を社会が善良な市民に作り替えることはできないのではないかというテーマについても考えさせられる映画になっている。

2. キューブリックのハイセンスな世界観、カメラワーク

この真っ白な衣装と女性の裸をモチーフにした机があるバー、カメラワーク。音楽。こんなに不吉に心を掴まれる出だしは他にない。完璧主義者と言われるキューブリックの誰も真似できない領域のセンスが冴え渡っている。

加えて、これは原作でも使われていたものだが、不良少年たちが使っているナッドサット語(ロシア語に影響を受けた英語)と呼ばれるスラングもこの映画ではいい味を出している。仲間=ドルーグ、女性=デボチカ、叩く=トルチョックなどなど。現代にもある流行り言葉と同じ感覚で映画でも登場する。

3. 青年たちの悪意なき衝動的な暴力

青年たちはただ自分の快楽のためだけに暴力を振るっている。そこにはある意味で悪意はないのかもしれない。もちろん虚構の中だから言えることだが、自分がこの映画に惹かれる最大の魅力はここにある。青年たちのインスピレーションによる破壊行為をどうしてもかっこいいと思わずにいられない。

4. 洗練された音楽

僕がヴェートーヴェンを聴くと、どこか暴力的に聞こえてしまうのはおそらくこの映画のせいだろう。映画の開始とともに流れる不吉なクラシックに加え、アレックスの愛した「第九」、サイケデリックな「Overture to the Sun」(太陽への序曲)、いずれの曲もこの映画のためにアレンジされており、この映画をさらに不吉で完璧なものに近づけたように思う。

5. 削除された幻のラストシーン

映画と原作のラストは異なる。原作も映画同様アレックスの独白で物語が進むのだけど、映画版では原作の最終章が削除されているのだ。

映画版では見てきたようにアレックスは治療によって更生することはなく、本来の暴力性を取り戻して終わる。それもアレックスは人格が戻ったことに対して「I’m completely cured」(俺は完璧に治った)と言って終わるのだから、映画版では元の凶暴な人格こそがアレックス本来の人格だということになる。

一方原作のラストでは、元の人格に戻ったアレックスがまた仲間と再びつるむようになるが、次第に立派に仕事をし結婚した仲間を見て、アレックスも普通の幸せを望むようになる。昔のことは若かったせいだと振り返りながら、治療では矯正できなかった人格が更生へと向かうという結末なのだ。

そこで兄弟たちよ、どうやらこれでこのお話も終わりに来たようだ。(中略)そしてそれはすべておれが若かったせいなんだ。だが今このお話を終わるにあたり、兄弟たちよ、おれは若くない、もう若くはない、全然。アレックスはどうやら大人になっちまったんだ、ああ、そうだよ。 出典(ハヤカワepi文庫 時計じかけのオレンジ)

原作も元々は映画と同じ結末だったけど、その後21章として新たにこのアレックスの更生シーンが付加えられたらしい。救いがあるのは紛れもなく21章版の方だけど、物語として完結しているのはやっぱり映画版の結末かなぁと思う。人間の暴力性や性衝動、無関心や怒りをアートに昇華したこの映画は究極のエンターテイメントであると同時に人間に対する警鐘であり、そこから目を背けさせるような結末は要らないんじゃないかなぁと。ただ、シャイニング同様これも原作者と揉めたいたいだし、実際にイギリスでは映画の影響で模倣犯が横行して99年(キューブリックが亡くなった年)まで上映禁止だったみたいだから、社会的な影響を考慮したというのも大きかったのかもしれない。

まとめ

いかがだっただろうか。今回は名作と言われていながらも、過激な描写だけが独り歩きしていて「なぜ名作と言われているのか」があまり浸透していない「時計じかけのオレンジ」の魅力を知っていただければと思う。「時計じかけのオレンジ」は暴力至上主義の映画ではなく、暴力が人間にとって快感を伴うことをエンターテイメントとして描くことで証明した作品であり、キューブリックの人間観をうかがうことができる作品だ。多くの影響を与えすぎたがゆえにこの映画を模倣した犯罪者が現れたり、それがきっかけでキューブリックの元に脅迫状が届いたりもしたけど、それは時計仕掛けのオレンジがそれだけ強烈で命がけの映画だったからだとも思う。

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