映画「トム・アット・ザ・ファーム」あらすじ感想 暴力と農場の閉塞感
監督:グザヴィエ・ドラン
脚本:グザヴィエ・ドラン、ミシェル・マルク・ブシャール
出演:グザヴィエ・ドラン、ピエール=イヴ・カルディナル、リズ・ロワ、エヴリンヌ・ブロシュ、マヌエル・タドロス、ジャックス・ラヴァリー、オリビエー・モーリン、ジョアンヌ・レヴェイエ、マチュー・ロワ
2014年に公開されたグザヴィエ・ドランによるサイコスリラー「トム・アット・ザ・ファーム」。
「マイ・マザー」「胸騒ぎの恋人」「わたしはロランス」とはからずも「叶わぬ愛」というテーマで三部作を作ってしまったドランは、撮る映画の方向性を変えたいと考え、初めてサイコサスペンスに挑んだのだと言う。
この映画はミシェル・マルク・ブシャール原作の戯曲をもとに映画化していて、誘拐犯に対して好意的な感情を抱いてしまう「ストックホルム症候群」のような複雑な心理描写と共に展開していく。
あらすじ(ネタバレ有)
モントリオールの広告代理店で働くトム(グザヴィエ・ドラン)は、交通事故で死んだ恋人のギョームの葬儀に出席するために、ギョームの実家である農場に向かう。そこには、ギョームの母親アガット(リズ・ロワ)と、ギョームの兄フランシス(ピエール=イヴ・カルディナル)が二人で暮らしていた。
トムは到着してすぐ、ギョームが生前、母親にはゲイの恋人である自分の存在を隠していたことに気が付く。そしてサラ(エヴリーヌ・ブロシュ)という女性の恋人がいると嘘をついていたことまで発覚しショックを受ける。アガットはアガットで「来るべき人が来ない」とサラが来ないことに腹を立てていた。トムはその晩、周囲のホテルが空いてないことから泊まっていくよう言われる。
翌日、トムはフランシスから、ギョームの単なる友人であると母親には嘘をつきつづけること、そして立派な弔辞を述べることを命令される。弔辞で良い文章が思い浮かばないと悩んでいたトムは、フランシスの威圧的な態度に反抗し、弔辞は読まずに音楽を流すことにした。
弔辞を読まなかったトムは、フランシスからトイレで暴行を受ける。フランシスはトムに「失態の埋め合わせをしろ」と言い、今晩家に来て、母にサラの話をするようにと命令した。
腹が立ったトムは車ですぐに帰ろうとするが、なぜか道の途中で引き返し、再びあの家へと向かってしまう。そして約束通りアガットの前でサラの言葉として自分が感じているギョームへの責任や喪失感を言葉にすることでアガットを信じ込ませた。
弔辞を読まなかったことに残念がっていたアガットだったが、サラの話を聞いて機嫌を良くしトムに農場を見せてあげるようフランシスに言う。
2人は外で会話し、フランシスは「上出来だった」とトムを褒める。しかし、弟にゲイの恋人がいたことをひた隠しにするフランシスの態度にトムは理解できず、アガットに全てを告げて逃げ出そうとする。怒ったフランシスは逃げ出したトムをトウモロコシ畑で捕まえて首を絞め暴行する。「俺の世界についてとやかく言うな」とフランシスはトムに吐き捨てたのだった。
トムは病院に連れて行かれ治療を受けた。フランシスはそこでトムに「大丈夫か?」と声をかける。傷を見たアガットはフランシスに平手打ちする。サラの言葉を聞くのが好きだったアガットはトムから更に話を聞こうとし、トムが下ネタ交じりの話をすると大笑いした。
フランシスはトムに「母の笑い声を聞くのは久しぶりだ」と話す。そして自分が30歳を過ぎても母と暮らすのは母の幸せのためだと。トムは「ここにいろ」と言われ、やがて農場の仕事を手伝うようになる。暴力を振るわれているにも関わらず、かつての恋人ギョームと同じ匂い、同じ声であるフランシスにトムはだんだんと惹かれていた。
タンゴを踊り始めたフランシスはトムと2人で踊り、農場を売りたいことや、アガットの世話が重荷であることを吐露した。すると後ろで呼びに来たアガットが会話を全て聞いてしまい優しかったフランシスが一変。「お前のせいだ」と再度殴られてしまう。
トムは再び帰ろうと決意するが、車はフランシスによってタイヤが全て外されており帰ることができなくなっていた。
トムはフランシスに誘われ2人で外で酒を飲んでいた。首を絞められるトムだったが、ギョームと同じ香水をつけているフランシスの匂いに次第に気持ちよくなり「もっと締めてくれ」と言いだす。
ある日、トムはサラを恋人の振りしてこっちに来るよう電話で呼び出す。サラがやってきてアガットは喜ぶが、聞いてないフランシスは動揺する。そしてサラはいきなりフランシスに髪を掴まれ襲われそうになってしまう。アガットとトムがやってきたため事なきを得るが、異変に気が付いたサラはトムに帰るよう説得する。しかしトムは「家族同然なんだ」と言い、フランシスに代わってサラに「ああいう奴なんだ」と言って謝る。サラはトムに大勢の女性と寝ていたこと、自分も寝ていたことを打ち明け、帰るよう再度説得するが、帰らない様子のトムを見かねて自分だけ変えることにした。
サラをフランシスとトムで車で送っていくと、サラとフランシスはトムを車から追い出し追い出し車の中で行為に及ぶ。
行き場を失くしたトムはバーに立ち入り、店主からフランシスが9年前暴力事件を起こし出入り禁止になっていることを教えられる。9年前ギョームが男性とバーで踊っていると他の客にゲイだとからかわれ、それに激昂したフランシスが男の口を耳からのどまで裂いたのだと言う。
翌朝、目が覚めるとアガットとフランシスはおらず、トムは急いで荷物をまとめて村を出ていくことにする。車はフランシスに壊されているため、最低限の荷物とシャベルを手に黙々と歩いた。
しばらく歩くとフランシスが車で追いかけてくる。「行かないでくれ。お前が必要なんだ。俺を見捨てないでくれ」と叫ぶが、トムはフランシスの車を奪ってモントリオールへと引き返す。途中立ち寄ったガソリンスタンドには口が耳からのどまで裂けて縫われている男がいたのだった。
感想
1. トムとフランシスのストックホルム症候群的狂気
この映画では冒頭で「代わりの存在を探さなければ」とトムが殴り書きをしているシーンがあり、恋人ギョームの死を同じ匂い、似た声のフランシスで埋めようとしていることが分かる。また、時々サラの言葉としてトムがアガットに自分がギョームの死に対してどう感じていたのかを打ち明ける場面で「彼の死に責任がある」と語っていることから、ギョームは交通事故で死んでいるにも関わらず責任を感じていたことが分かる。だからこそ自分が罰を受けるべきであり、そうしてもらいたいと考えていたトムにとって、フランシスの暴力は歪んだ喜びに変わってしまったのだ。
ストックホルム症候群という現象をご存じだろうか。誘拐犯と人質に生まれる特別な心理的結びつきで大きく以下の3つの症状が存在すると言う。
・人質の側に、人質をとっている人物に対する愛着や、時には愛情さえもが生まれる。
・今度はそれに報いる形で、人質をとっている側が反対に人質を気遣うようになる。
・両者がそろって「外界」に対する軽蔑を抱くようになる。
これは命の危険を脅かされているという恐怖を抱いたあとに、食事やコミュニケーションなどが与えられると、「幼児の時に母親の近くにいたときのような感覚」を抱くことから起こるそうだ。
この映画のフランシスもトムの発言や行動を全て支配し自由を奪ったうえで、農場での仕事を教えたり、2人で酒を飲んで会話したりすることでこれと似たような現象が心理的に起こったのではないだろうか。
2. なぜトムは去ることができたのか
トムは逃げ出そうと思えば逃げ出すチャンスはあったのに、惹きつけられるように農場にとどまることを選んだ。しかし、フランシスとアガットの姿が見えなくなった朝、トムは突然我に返ったかのように荷物をまとめ去ることにするのだ。
アガットがいなくなった理由はおそらくフランシスとトムのベッドがくっついていたことから、2人が情事に及んでいるのを見てしまったからだと思う。伏線として、アガットはトムを泊めた時も「2人の男の子が寝ていた」と発言しているから度々部屋を覗いているとこが分かるし、トムが朝起きるとギョームが手紙や日記を入れていた箱が足元にあったことからアガットはそれを見て自分がギョームやフランシス、そしてトムに嘘をつかれていたこと(この狭いコミュニティーの中で自分だけが何も知らなかったということ)を思い知ってしまったのではないかと思う。
トムは翌朝誰もいなくなっていたこと、そしてアガットがここには真実がないことに気が付いて出ていったことを踏まえて「ここが本物だと信じていたのは思い込みだったのではないか」と咄嗟に理解したのではないだろうか。そして自分が置いて行かれたことにより「農場が自分を必要としている」と思っていたのが思い込みだったということも。だからこそトムが帰ることができたのはある意味で偶然的なものだったのかもしれないと思う。
3. アメリカ批判
ラストシーンでフランシスはU.S.Aと書かれたダウンを着てトムを追いかけ、エンドロールではルーファス・ウェインライトの「Going to a Town」がかかり「アメリカにはうんざりだ」という言葉をバックにトムがモントリオールへと帰還するように、フランシスがいわばカナダ人から見たアメリカ的傲慢さの象徴として描かれているところもこの映画の注目ポイントの一つだ。
フランシスの特徴と言えば、マザコンでマッチョで狭い慣習に縛られ、酒と女にだらしがなく、仲良くなるために無理にドラッグを吸わせようとする。弱みを作りたくないから自分にもゲイの素質があるのにひた隠しにして、暴力で問題を解決することしか知らない。
戻る途中のガソリンスタンドには口が耳から喉まで裂けた男がいて、その男の影にフランシスの姿が浮かんだように、モントリオールに戻ってもアメリカの呪縛から逃れることはできないのだという、宿命的な悲劇と重ねているのかもしれない。
4. トムは帰ったのか引き返してしまうのか
ラストシーンでは信号が青に変わりハンドルを握り直すところで終わっており、無事にモントリオールでの元の暮らしに戻るのか、それともまた農場に引き返すのかは描かれていない。個人的にはガソリンスタンドの男を見た時にフランシスがそこにいるように感じてしまったように、戻れたとしても簡単に離れることはできないのだということが暗示されていたラストのように思う。
まとめ
トム・アット・ザ・ファームはドラン作品の中では少しスリラー要素が強く異質な作品なのかもしれないけど、すごく好きな作品だった。人間の危うい部分、綺麗に割り切れない部分が田舎の農場という閉塞的な環境で描かれているからこっちまで息苦しくなるけど、その怖さと悲しさ故に一瞬も目が離せない。会話劇のように進んでいくドラン映画が苦手な人にもおすすめしたい。