欅坂46「避雷針」歌詞 意味 考察 関心/無関心の次元で語られる不器用な愛情

5thシングル「風に吹かれても」のカップリング曲として収録された「避雷針」。

「風に吹かれても」が「流されてみるのも悪くない」という楽観的な感情を歌ったものなら、「避雷針」は特定の相手に対する神経質なまでの不器用な愛情を歌った曲になっていて、ある意味表と裏のような関係になっていると言える。

作詞した秋元康は「避雷針」の歌詞についてこんな風に語っている。

たとえば、普通の女の子がこれだけ有名になると、言われなき中傷とかに傷ついたりすることも多いじゃない。ネットに書かれたりして。そういうものに対して、気にしなくていいんだよっていう意味を込めて……たとえばそれが”僕”という言葉で書く場合は僕自身でもあるし、応援してくれるファンのことでもあるし、スタッフのことでもあるんだけど、それが〈悪意からの避雷針〉になるよっていう。「避雷針」の頃って、みんなネットのことが気になったり、傷ついた時期だと思うんですよね。だから、”避雷針”という言葉を使って(欅坂46へ向けて)”手紙”を書こうかなと思ったんですよね(『今日は一日”秋元康ソング”三昧』(NHK-FM)より)

メンバーに宛て書きした、というより避雷針の世界観には正直生々しいほど平手さんのキャラクターが滲み出ているように思えるが、ファン目線としてもどこか異様な空気が漂っていた当時の欅坂46を見ている時の複雑な心境を代弁してくれているかのようで、そんなところも人気の理由の一つなのではないだろうかと思う。

歌詞の意味考察

心を閉ざしたままの君

遮断機降りたままの開かずの踏切みたい
心を閉ざして僕をいつまで待たせるんだ?
君っていつも何か言いかけて 結局言葉飲み込むよ

警報機 鳴りっぱなしで意思なんか通じない
上下線 何回 通り過ぎれば開くんだろう?
ずっと前から知っていたはずさ 電車なんか来ないって…

この曲は僕の視点から見た「君」が描写され、その心情を綴った曲になっている。

君の心を閉ざしている様子を「遮断機が上がらないままの踏切」みたいだと例え、言いたいことを何も言ってくれない君のイメージ像が浮かび上がる。

2番ではその用心深さと警戒心を警報機が鳴りっぱなしの遮断機だと例えられている。不穏な音が鳴る「警報機」という言葉はこの曲に漂うダークな雰囲気にマッチしている。

また、欅坂の歌詞ではよく「電車」が登場するが、今回は心を開くためのきっかけのようなもののメタファーになっている。

行ったり来たりする関心と無関心

どうでもいいけど…
どうでもよくないし…
どうにでもなればいい
毒にも薬にもならない日常はチクタクとただ繰り返す 無駄が僕たちの特権だって主張して…
勿体無い生産性がないとか大人から見れば腹立たしい?

君が気になってしまうよ
AH- 面倒臭いその存在
だって 誰も理解できない
ネガティブ ネガティブ ネガティブ 暗い目をしている
そんな不器用さを守るには僕がその盾になるしかない
世の中の常識に傷つくのなら 君の代わりに僕が炎上してやるさ
いつだってそばで立っててやるよ
悪意からの避雷針

避雷針の最大の魅力は関心」と「無関心」が複雑に行ったり来たりするところにあると思う。

Aメロ・Bメロでどこか皮肉った様子で君を見ていた僕の「君が気になってしまうよ」というストレートな歌詞。

「気になってしまう」というどこか不本意ながら君のことを気にかけてしまう様子は、あまりにも率直な愛情表現の言葉に聞こえる。

でも、そんな相手に対して理解したいのに理解できなくて面倒くさいと感じてしまう気持ちも同時に描かれる。

大切に思っている相手に対して、「守ってあげたい」と感じると同時に「面倒くさい」とも思ってしまうのは何とも人間味があるように思えた。

「炎上」は落雷による炎上と誹謗中傷的な意味での炎上のダブルミーニングで使われている。「炎上」から守ってあげたいと思うのも、ただの愛情や友情ではなく、アイドルとして激動の人生を送っているメンバーに宛てて書かれたからこその表現になっている。



複雑に入れ替わる視点

この曲では僕の言葉と君の言葉がころころ入れ替わって、そのために少し難解な印象を与えている。

基本的に僕目線になっているが、例えば以下は君視点の言葉だ。

どうでもいいけど…
どうでもよくないし…
どうにでもなればいい
毒にも薬にもならない日常はチクタクとただ繰り返す 無駄が僕たちの特権だって主張して…
勿体無い生産性がないとか大人から見れば腹立たしい?

日常に意味を見出せず、投げやりに過ごし、それを若さの特権だとすることに自虐的になっている。

そしてそんな君の言葉を踏まえた上で、以下僕視点の歌詞に変わる。

君は何を放棄したんだ?
そして何を諦めたんだ?
でも強がって微笑む?
そんなに不幸に見えないのはなぜ?

「そんなに不幸に見えないのはなぜ?」この歌詞でこの曲に一気に奥行きが出ているように感じる。

普通、こういう内向的な主人公を描いている曲では「君」のイメージを壊さないように暗い側面しか描かないものだが、この歌詞によって「君」のいろんな側面を描き深みを出しているように思う。

そして、この「君」の人物像は、時には普通の子みたく明るく笑ったりもするのに、それでもどこか危うい場所にいて、脱力的に生きているように見える平手さんのイメージそのままなんじゃないだろうか。

 

また、2番ではAメロのこの部分が君視点(もしくは僕が君の思っている言葉を想像している)に変わっている。

一人が楽なのは話さなくていいから
わかってもらおうなんて努力もいらないし…
何も関わらず 存在知られたくない フェードアウトしたくなる

そして、Bメロがそれを受けた僕視点の言葉になっている。

それでもいいけど…
それでも息をして…
それでも生きてるし…
いくつの扉を閉めたり鍵を掛けて引きこもってじっとして ただ儚(はかな)すぎるこの若さ萎(しお)れるまで
使い切れず持て余す時間 過保護な夢を殺すだけだ
僕は何に惹かれたの?
僕は何に期待するの?
僕も不幸に見えると言うのか?

心を閉ざしたままでもいいと思いながらも、そんな君の姿を疑問視しながら見ている僕。「僕がその盾になるしかない」と決意したにも関わらず、君のことが分からなくなってしまっている。

そして、そこから君視点と僕視点が交互に入れ替わるCメロへといく。

無関心は味方だ
(君は感動のない眼差しで僕を見ていた)
いつだって味方だ
(信じることは裏切られること 心を開くことは傷つくこと 落雷のような悲しみに打たれないように…)

「無関心は味方だ」→君視点、

「君は感動のない眼差しで僕を見ていた」→僕視点

「いつだって味方だ」→君視点、

「信じることは裏切られること〜」→僕視点となっている。

君は無関心でいれば傷付くことはないと考えて、心を閉ざしていたことが分かる。

そして僕はそんな君の弱さを理解して受け入れ、それすらも守ってあげようと決意する。



最後に出した答え

僕はどっち側にいるの?
AH- 扱いにくいその価値観
だから きっと目が離せない
ポジティブ ポジティブ ポジティブ 君は君のままで…
どんな理不尽だって許容できるさ
気配を消して支える
重箱の隅を突(つつ)かれたって
僕が相手になってやる
平凡な日々を今約束しよう
ここにあるのは愛の避雷針

自分でも相手をどう思っているのかすら分からないけど、それでもやっぱり目が離せなくて、何があっても守ってあげようと僕は覚悟を決める。

避雷針で語られる感情は「好き/嫌い」の次元ではなく「関心/無関心」の次元で語られているところが面白いなと思う。

「平凡な日々を今約束しよう」はアイドルとして時に理不尽な言葉に傷つけられながら日々を送っていたからこそ、「守ってあげる」という意味になるフレーズになっている。

アイドルであるメンバーに宛て書きされた曲なので、普遍的なラブソングではないかもしれないけど、それでも理解しようとするのではなく「理解できないけど、その弱さを受け入れて守ってあげよう」というこの曲は、ある意味究極の愛情表現なのかもしれないとも思う。

まとめ

「避雷針」は大切に思っている相手に対して、理解できないと思いながらも守ってあげたいと思う不器用な心情を歌った曲になっている。

こういう内向的な主人公を置きながらも、最後には強い意思表示を示すこの楽曲はやっぱり欅坂46との相性が良い。万人に受けるアイドルソングとは一線を画しながらも、こういう楽曲をメインストリームにいる人たちが歌っていたというのはやっぱり意味があることだったんじゃないだろうか。

楽曲自体も瑞々しいキーボードと、電流みたいなスラップベース、綺麗なのにどこか不穏なBメロのストリングスなど、曲として斬新でかっこいい。

そしてやっぱり「グループの中で一体何が起こってるんだ?」と不安に思いつつも、「それでも目が離せない」と思っていた欅坂46のファンとしても共感できる曲になっているのがこの曲が根強い人気を誇っている理由の一つだと思う。

今後櫻坂46になってこういう楽曲をやるのかは分からないが、彼女たちが内向的な人間に寄り添ってくれるような楽曲を表現してくれていたことは大切に覚えておきたい。