櫻坂46「流れ弾」MV 歌詞 考察 悪魔に翻弄される民衆を描いたMV


櫻坂46の3rdシングルとして発表された楽曲「流れ弾」。

この3rdシングルは「革命」をテーマにし、通常盤のCDジャケットもフランス革命を描いたドラクロワの絵画「民衆を導く自由の女神」を彷彿とさせるものになっているのが印象的だ。

1stシングル「Nobody’s Fault」から、自分の意思をしっかり持つことや現代の中でどう生きるのかを説いてきた櫻坂46。

今回の表題曲「流れ弾」のMVはSNSでの炎上をモチーフにしている歌詞とリンクして社会風刺的な内容になっている。

悪魔に取り込まれる民衆

センターの田村保乃は悪魔役であることが明言されていて、それに取り込まれている様子を表現しているそうだ。

MVに登場する絵画の女性には角が生えているので、それも悪魔を表しているように思う。

また、そんな悪魔に翻弄されストロボのシーンでは大園玲さんが溺れていて、菅井友香さんが憎み睨んでいるように演じてくれとディレクションされていたそう。

ちなみにキリスト教では黒は悪魔の色と言われている。そんな悪魔に染まってしまったセンターに周囲の人間が翻弄されて、誰かを攻撃する負の連鎖が起こっているように思った。




黒から赤へ変わる意味

前半はメンバーのシルエットを映すカットが多かったり、衣装も黒で統一されているが、後半になるとメンバーも真っ赤な衣装になり、パーティー会場のような場所で狂宴のように踊る。

これは前半が「民衆に溶け込んで自分の意見を言わない」や「誰かの影に隠れて他人を攻撃する人々」のメタファーになっていて、今回のSNSでの炎上を描いた「今宵もどっかしらで顔隠してリンチパーティー」「その他大勢の中に紛れて目立った弱者を袋叩き」のような歌詞とリンクしていると感じた。

反対に赤は黒と対照的な「目立つ色」であり、個人個人が自分の意志を持つこと、自分の主張をすることという意味と血痕と炎上のメタファーになっているようにも思う。

皮肉が込められたラスト

飛んでこなくなった流れ弾
窓の外なんか見ちゃいない
週末の夜の街にも
銃声は聞こえない

ターゲットになることを恐れて語り合うことをやめた結果、誰も家の外から出なくなったというオチには皮肉が込められている。

自分が傷付かないように閉じこもることの是非は描かれてないが、その解釈を聴き手側に委ねるようにな構成になっている。

メッセージの変化

民衆に対する批判を描くような風刺的な楽曲や、個人対集団という構図は欅坂時代から描かれていたものだったが、今まではその民衆に対しても一個人として接することだったり、その民衆に1人で立ち向かい変えていくというところまでは描かれていなかったように思う。

例えば黒い羊は「集団に馴染めない個人」を描いた楽曲だったが、「集団の中で理解されなくても自分は自分でいよう」「周りに合わせる必要はないんだ」というところに落ち着く楽曲だった。

しかし、今回の流れ弾の大きな違いは、そんな集団の姿を諦めず、「そうさ、みんなほんとは誰かに話かけたかっただけなのか」と攻撃する側の気持ちを理解しようとするようなフレーズが入っていることのように思う。

ぶつかり合って語り合い血を流す場面と、誰かの影に隠れ様々なことに翻弄されている姿を描きながら、SNSが生活の中心になりつつある現代で個々人がどうあるべきか。そんなことを考えさせられるMVになっている。

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