今泉力哉監督 映画「his」あらすじ感想 リアルな社会の視線と愛情を描いた秀作
偏見とも言い難いあまりにもリアルな男性同士のカップルへの社会の眼差しと、その中ではぐくまれた愛情を詰め込んだ今泉力哉監督の力作。社会的な問題を描きながらも焦点はどこまでも人間の愛にある映画。
監督:今泉力哉
脚本:アサダアツシ
出演:宮沢氷魚、藤原季節、松本若菜、松本穂香、外村紗玖良、中村久美、鈴木慶一、根岸季衣、堀部圭亮、戸田恵子
「退屈な日々にさようならを」「愛がなんだ」の今泉力哉監督の新作映画「his」。この映画は「his~恋するつもりなんてなかった~」というメ~テレ制作のドラマの続きを描いた作品でもあります。ドラマでは主人公の迅と渚が江ノ島で出会い、友情が愛情に変わるまで。映画では2人が大人になり再会した後の続きが描かれてます。
突然別れを告げたかつての恋人が8年ぶりに子どもを連れてやってくるという設定の今作は、男性同士のカップルに対する社会のリアルな眼差し、親権を獲得することの難しさを包含した作品でもあります(以下ネタバレ有)。
あらすじ① 元恋人との再会
井川迅は大学生の時、高校時代に出会った日比野渚と同棲していたが突然別れを告げられてしまう。
ゲイであることが知られるのを恐れ、それからは岐阜に引っ越し田舎で近所の緒方という猟師と食べ物を交換しながらひっそりと生きていた迅。そんな迅の元に6歳の娘を連れた渚がやってくる。別れてからはもう8年が経過していた。
娘の空は渚が迅と別れた後に出会った玲奈という女性との間にできた子供で、「普通の幸せ」を手にして社会から認められるためにも頑張ろうと思っていたが、上手くいかず妻に打ち明けてしまったと渚は話す。現在は離婚調停中でしばらくの間居候させてほしいと。
迅は戸惑い自分勝手な渚に苛立ちを隠せないでいた。「俺はやっとお前のことを忘れて生きていこうとしたのに」と。しかし迅は渚に巻き込まれて空と3人で一緒に生活していくことになってしまう。
迅は地元の人たちとも空を通して交流が増えていく。初めは好奇心からうわさをしていた町の人たちも3人を受け入れていくようになっていた。
あらすじ➁ 母親の元に返される空
渚の妻の玲奈は東京で通訳のフリーランスとして働いていた。渚と結婚しているときも仕事は玲奈で家事と育児は渚が主に行っていた。
空は岐阜で迅と渚と3人で楽しく生活していたが、空が東京にいたほうが有利なため玲奈は強引に東京に空を連れて帰ってしまう。
しかし玲奈はフリーランスとしての仕事と裁判の準備に忙しくなかなか空にかまってあげられないでいた。ある日空はスカイプで打ち合わせをしている母のパソコンを取り上げて壊してしまう。思わず空に平手打ちしてしまい玲奈は我に返って何度もごめんねと謝った。
また別の日、空が外に出かけたいと言っても玲奈はお酒を飲んで潰れてしまっていた。1人で外に出て町の中を歩くも空は迷子になってしまう。警察に保護された空は「空がいるとママの仕事の邪魔になるんだ」と思い玲奈ではなく渚を呼んだ。
あらすじ③ 町の人へのカミングアウト
空はまた岐阜の渚の元に戻り迅と3人で暮らし始める。空は岐阜の子どもたちとも仲良くなっていくがある日「パパと迅くんがキスしてた」と友達に言ってしまう。
「そんなの絶対おかしいよ」と友達にからかわれるも空は「変じゃないもん」と返す。町の人はその話を聞いて渚と迅が付き合っていることに気が付き始める。そこには迅に好意を寄せる美里もいた。
猟師の緒方がそんな様子を見て迅を森へと連れ出す。「この町の人は噂好きだけど、悪い人はいない。よそもんには優しいんだ。誰が誰を好きになろうと勝手だ。好きに生きたらいい」と温かい迅にかけたのだった。
しかし、それから少しして緒方は亡くなってしまう。皆が集まる葬式の場で「あんたら男同士で付き合ってるんか」と言われ「違いますよ」と笑いながら答える渚を横目で見る迅。
「ちょっと聞いてもらえますか」と迅はみんなの前で切り出す。「誰とも付き合わなければ傷つくこともないと思い生活してきました。でも優しいのは世界ではなく自分だと気が付きました。日比野渚のことを愛しています」と言った。
「もうこの年になったら男も女もわからんしどっちでもええわ」と一人の老人女性が笑いながら迅に言う。他の人たちも迅の話を自然に受け止めていた。その女性が続けて言う。「迅、長生きしい」と。
ゲイであることを勘付かれ一時は町を出ていこうか悩んでいた迅だったが、町に残り「渚と空と3人で生きていきたい」という気持ちを固めていく
あらすじ④ 泥沼化する離婚調停
離婚調停では男性同士のカップルの元で子供を育てることは空にとって「いいこと」なのかどうかというところに焦点が当たった。玲奈の弁護士は「そのような家庭は普通ではない」「男女の両親の元で育てるのが一番だ」と言い、渚の弁護士はそれに対し「それは差別発言にあたる」と強く主張していた。
裁判では渚の弁護士が玲奈が家で泥酔して空から目を離し警察に保護されたこと、仕事との忙しさで面倒をみきれていないことを畳みかけた。しかしあと一歩で勝てるというところで渚は「示談をしたい」と弁護士を止めてしまう。
渚と玲奈と双方の代理人だけで話し合いが行われることになる。「僕が空と時間を過ごせたのは玲奈が外で働いてくれていたおかげです」と渚は話し始めた。「僕は妻の気持ちを考えず自分勝手でした。玲奈今までごめんなさい。今度は君が空と過ごして」
裁判のあと「あのまま勝つことはできなかった。自分が一番弱いと思っていた」と渚は告白する。自分で決断したこととはいえ、渚は娘を失った悲しみに耐えきれず迅にすがりついて泣いてしまうのだった。
あらすじ⑤ 裁判のあと
ある日、空が通う小学校から玲奈に連絡が入る。クラスの担任は空がクラスの誰とも話してないと玲奈に伝えた。
玲奈は空が明るく誰とも話すタイプの子どもだと考えていたため困惑してしまい、渚に電話をかけてみることにした。そこで玲奈は空が自転車の練習をしていたことを知り、空のために自転車を買ってあげることにする。玲奈は一緒に公園に行き空が乗れるよう一生懸命練習を手伝った。
それからしばらく経ち、久しぶりに玲奈は空を連れて渚と迅の元を訪れる。空は大喜びで乗れるようになった自転車を披露して遊び、3人で温かくその様子を見守っていた。
リアルな社会からの視線と愛を描いた映画
「ゲイの愛だってただの愛だろ?」と自身もゲイであることをカミングアウトしている映画監督、グザヴィエ・ドランも言っていたようにこの映画もLGBT映画という枠を超えて一つの愛を描いた映画のように感じた。
今ではカミングアウトする海外の芸能人も多く、インターネットでの情報共有もあるせいかLGBTに偏見を持つ人は減ってきたように思う。ただそれでもまだ偏見が無いのかと言えばそうではない。迅が会社の飲み会で「迅ってさ、ゲイなの?男と同棲してるって聞いたけど」「それは本当に聞いちゃいけないやつだよ」とからかわれている場面にあったように、現在ではあからさまな差別とも言えないグレーゾーンの好奇の視線があるように思う。そういう人々の視線の描き方が凄くリアルに感じた。
悪役が登場しない映画
この映画で印象的だったのは裁判が終わったあとに渚が「自分が一番弱いと思ってました」と言う場面。渚は裁判を通してゲイである自分だけが理不尽に不利益を被っているのではないかという考えが間違っていたということに気が付く。玲奈だって自分のことを愛してくれていると思っていた夫からゲイであることをカミングアウトされ、娘すら失うかもしれないと追い込まれ傷ついていたのだ。
この映画では悪役が存在しない。LGBTを扱う映画は過剰な偏見を持つ人間が主人公を攻撃したりすることもあるが、この映画では町の人たちも自然に迅と渚を受け入れていくし、裁判で渚と対立する立場にある妻の玲奈もそういうキャラクターとして描かれていない。登場人物全員がステレオタイプな役割を果たしているのではなく、本当に存在しているかのように血の通った人間として丁寧に描かれている。
卵が片手で割れるかで描かれる空との距離
空は片手で卵を割るのを見るのが好きだった。迅の家に来た日も渚がそれをやっているのを楽しそうに見ていた。空は片手で割れない迅に対してもできるまで「もう一回!」とやらせる。迅はいやいやながらも何度もやって、気が付いたらできるようになっていた。これは空に対して近づこうと努力した証でもあるのだ。
母の玲奈も片手で割ることができなかったが、空との関係に悩んでいるときに無意識的に片手で卵を割ろうとする。おそらく渚がそうやると空が喜んだのを思い出したのだろう。この1シーンで玲奈が空がどうしたら喜んでくれるのかを無意識のレベルで考えていることが分かるし、一見冷たく見える彼女の違った側面を描いている。
まとめ
離婚調停を描いた映画は「クレイマー・クレイマー」「チョコレート・ドーナッツ」、最近だと「マリッジストーリー」とか多くの名作があるけど、「his」もそれに匹敵する傑作だったと思う。本当にこの監督の描く人々の物語は抽象化されていなくてどこまでも具体的で、だからこそ本当に感情を揺さぶられる。「愛がなんだ」とはまた違った繊細さが見られる作品だと思った。