「絶望名人カフカの人生論」を読んだ感想 誰よりもネガティブな本音に救われる

「変身」で知られるカフカの名言集「絶望名人カフカの人生論」。

「いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」と言った誰よりもネガティブなカフカの人生論が詰まっていて、第15章に渡ってあらゆる種類の絶望に関する彼の考え方を知ることができる1冊。

後で紹介するが、一般的には一番ネガティブなものである「病気」に対してはネガティブなイメージを全く持っていなかったのがカフカらしい。

この本は「どうして自分は上手くやれないのだろう」「どうしてこんなことばかり考えてしまうのだろう」と、毎日のように思っている人にとっては誰にも言えなかった自分自身のネガティブな本音に出会うことができる本に感じる。

ここでは本の章立て通り、「心の弱さへの絶望」「仕事への絶望」「恋愛への絶望」に分けて抜粋してその言葉を紹介するので、自分自身の悩みに照らし合わせながら読んでもらえたらと思う。

第四章:「自分の心の弱さに絶望した!」より

ぼくの人生は
自殺をしたいという願望を払いのけることだけに
費やされてしまった

毎日が「死にたい」という気持ちを誤魔化すためのものでしかないという感覚。

この言葉を初めて聞いた時、気が付きたくなかったことに気付かされてしまったような気持ちになったのだけれど、それと同時に自分の本音を突きつけられたような快感もあった。

今は「自殺」という選択肢を残しているからこそ、毎日頑張れるみたいなところがあるのでそれも別に悪くはないんだろうという気がする。

自殺願望を取り除きたいという悲しい欲求が始まりだったとしても、その中で出会った何かを一瞬でも楽しいと思うことはできる。

ぼくは本当は他の人と同じように泳げる。
ただ、他の人たちより過去の記憶が鮮明で、
かつて泳げなかったという事実が、どうしても忘れられない。
そのため、
今は泳げるという事実すら、ぼくにとってはなんの足しにもならず、
ぼくはどうしても泳ぐことができないのだ。

これはトラウマの話。

本当は泳げるのに、泳ぐことができないなんて意味が分からないと思うかもしれないが、これは実際の能力をそれだけ制限するほど精神の影響が強いということ。

トラウマのせいで実際の能力を発揮できないということは誰にでもあることかもしれないが、それが日常レベルであらゆる出来事で起きている人間の心理状態はまさに絶望的なのかもしれない。

第七章:「仕事に絶望した!」より

ぼくが仕事を辞められずにいるうちは、
本当の自分というものがまったく失われている。
それがぼくにはいやというほどよくわかる。
仕事をしているぼくはまるで
溺れないように、できるだけ頭を高くあげたままにしているみたいだ。
それはなんとむずかしいことだろう。
なんと力が奪われていくことだろう。

仕事をしている自分は溺れないように水面から無理に顔を上げている状態だと言うカフカ。

そこに等身大の自分はなく、無理して疲弊ながら、本当は自分を失っていることに気づきながらも目を背けて働いているという感覚は理解できる人も多いのではないだろうか。

筆者自身も自分の性格に合わないゴリゴリのベンチャー企業で働いていた経験があるが、社内の人のガツガツとした雰囲気や、実際の結果よりもやる気を見せることが評価されるカルチャーに疲れきってしまった経験がある。

どんどん自分に自信をなくして、身体をすり減らしてやっても何のために働いているのか分からない上に何か大事なものまで失っているような感覚。それは確かに水面ギリギリで何とか息をしているような状態に近いのかもしれない。

楽しく働いている人にとっては、なぜそうなってしまうのか、仕事でこそ自分らしさは発揮できるのではないかと思うかもしれないが、そういう職場にいる人はすごく恵まれているように感じる。ネットでは仕事と入れればサジェストは働きたいくないだの辞めたいというネガティブな言葉が並び、退職代行というビジネスさえ成り立っている世の中だ。

だからそういう自分を受け入れて、そんなところで疲弊せずに自分をすり減らさずに生きる場所を見つけるきっかけにこの言葉がなって欲しい。

とは言え、カフカは友人の紹介で転職して、一般的には楽と言われる仕事に就いたが、それでも仕事に対するネガティブな感情が消えず、全てが文学をやるための足かせのようにしか感じていなかったとも言っていた。こんなことを言ったら甘えだと取られそうだが、繊細すぎる人間には仕事というものの本質が辛すぎるのかもしれない。

第九章「結婚に絶望した!」より

ぼくは彼女なしで生きることはできない。
…….しかしぼくは……
彼女とともに生きることもできないだろう

カフカには結婚しそうになったフェリーツェという女性がいた。

しかし、二度婚約して二度婚約破棄していて、婚約も破棄も全てカフカから申し込んだものだそう。

異常な量のラブレターを書いていたという事実も残っていて、カフカにとってはそれほど大切にしていた女性であるにもかかわらず、いざ婚約となると自分から破棄してしまうカフカ。

いざ手に入るとなると自分から離れてしまうのは、手に入れたら失うしか残っていないと思っているからなのかもしれない。

それとも人間には現状維持を常に選んでしまう心理学的なホメオスタシスという働きがあるが、臆病な性格の場合、こういう心理が人より強く作用して、明るい未来を想像して手に入れたいと思うよりも、何もせず今のままで良いと思ってしまうのかもしれない。



ぼくはひとりの女性を愛した。少女もぼくを愛した。
しかし、ぼくは去らなければならなかった。
なぜか?ぼくは今でもわからない。
まるで彼女のまわりを兵士がとり囲んで、
外に向かって槍を突き出しているかのようだった。
彼女に近づくと槍の先が突き刺さり、
傷つけられて、すごすご退散しなければならなかった。
無数の傷にどれほど苦しんだことか。
少女に責任はなかった。その点はよくわかっている。
じつは、ぼくのほうも兵士に囲まれていたのだ。
ただし、その槍の先は内側に、つまりぼく自身につきつけられていた。
少女に強引に近づこうとすれば、まず自分の周りの兵士たちの槍に刺され、
ここでもう前進できなくなったのだ。
少女はそれからずっとひとりなのか?
いや、他の男がやすやすと、なんの妨害も受けずに彼女に近づいた。
彼らの顔が初めてキスで重なり合うのを、ぼくはぼんやりと見ていた。
ぼくはまるで空気のようだった。

カフカの恋愛に対する臆病な思いは共感できる方も多いのではないだろうか。

好きな人に近づこうとする時に自分に対して、「自分みたいな人間が近づいていいはずない」とか「自分に話しかけられて喜ぶはずがない」と、自分自身に対して攻撃的な言葉を浴びせ、動けなくなってしまうことは多い。

それも全部自分に対する自信のなさから来るもので、そうしてそんな風に傷つき、動けなくなっている間に自信満々な男が現れて、自分の好きな人をいとも簡単に奪ってしまうのだ。

「恋愛から己惚れを差引いたら、どんなに味気ないものになってしまうことでしょう」と言ったのは三島由紀夫だが、己惚れがないどころか、自分に対してマイナスな感情しか持ってない人間に恋愛は難しすぎるのかもしれない。



第十五章:「病気に絶望…していない!」より

ぼくは今、結核に助けを借りています。
たとえば、子供が母親のスカートをつかむように、
大きな支えを。

誰もがネガティブな感情を抱く病気に、救いのようなものを見出していたカフカ。

働き詰めだった男が虫になる彼の代表作「変身」もそうだったが、カフカにとって病気は不可抗力的に仕事や人間関係から解放される病気は、希望のように見えたのかもしれない。

病気になったら、健康でいた時にはいくつも背負っていた責任を何も果たさなくて良いからだ。

精神的な苦しみよりも、肉体的な苦しみの方がましだったことを思うと、カフカが日常レベルで感じていた苦痛が想像つくかもしれない。ある人にとっては心の底から共感できるのだろう。

また、カフカは当時でもちゃんと養生すれば大体の患者が治ったと言われている結核が治らなかったと言われている。それはもうここまでくれば精神的な弱さが病気以上に肉体を蝕んでいたことは容易に想像がつく。

まとめ

カフカのネガティブな言葉をまとめた「絶望名人カフカの人生論」

もうここまで救いのない言葉を聞いてしまうと、かえって現状がマシに見えたり、笑えてくるような気持ちになれる。

もし、同じような苦痛を感じて生きづらいなら一度是非読んでみて欲しい。きっと寄り添ってくれる言葉が見つかると思う。