ゲーテ「若きウェルテルの悩み」あらすじ感想 死に憑りつかれた青年の悲劇を描いた名作
有名人や人気の高い人が自殺すると連鎖的に自殺が増えてしまう「ウェルテル効果」をご存じだろうか。
これは絶望的な恋愛に苦しんだ末に自殺してしまうウェルテルが主人公のゲーテの名著、「若きウェルテルの悩み」が発表され、ヨーロッパで若者の自殺が流行した現象からつけられた。
「若きウェルテルの悩み」はゲーテ自身のヴェッツラルにおけるシャルロッテ・ブフとの恋愛をもとにした自伝的小説で、ゲーテ自身ヴェッツラルから帰ったときは短剣を手に自殺を試みようとしたほど不安定だったとされている。
この小説は単に失恋した少年の悲劇だけでなく、好きになった女性シャルロッテの婚約者、アルベルトが自分とは全く正反対の快活な青年で、自分自身に対する失望と恋焦がれる気持ち、そして死への憧れが結びついてしまった悲劇を描いている。また、文通相手のウィルヘルムに手紙を通してウェルテルがロッテへの気持ちを吐露しながら話が展開していくので、ウェルテルの内省的な心理描写がかなり多いところもこの作品の魅力の一つになっている。
あらすじ
ウェルテルは地方に放浪し、上流階級の青年で容姿端麗で勉強もできたが、情緒があまり安定しない青年だった。
ウェルテルは文学をたしなんだり、絵などをのんびりと書きながら暮らしていた。やがて街の中でも徐々に知り合いが出来はじめ、舞踏会に参加することになった。
ー君のことだから、こういえばわかってくれるだろう。要するに馬車が会場の前に止って、降りたときのぼくはさながら夢遊病者みたいだった。広間にはもう明かりがついていて音楽の響きが外に流れ出ていたが、それすら耳に入らず、夢見心地であたりの暮色の景色の中に融け入っているといった状態だった。
-新潮文庫 p.31
ウェルテルは知り合いになった老法官の家で開かれる舞踏会に参加し、そこで姿を現した娘のロッテに一目惚れする。小説が好きで文学的な教養のあるロッテの言葉に感動しては、一緒にワルツを踊り、ウェルテルは幸せの中にいた。しかしそんななか、ロッテは旅に出ている婚約者の存在、アルベルトのことを明かす。
その日が終わってもロッテとウェルテルは友人としての相性も良く、ウェルテルはロッテの弟妹にも懐かれ面倒を見ていた。
ロッテに夢中になるあまり距離を置こうとするウェルテル。しかしロッテもロッテで何かと用を言いつけるのでつい誘惑に負けてロッテの元を訪ねてしまうのだった。だがそんな日々も長く続かずついにアルベルトが戻ってきてしまう。
「ぼくはここを立ち去ろう」、ロッテがアルベルトのものであるという現実をありありと突きつけられてしまったウェルテルはそう決意し、ロッテにも言わないまま街を去ることにする。そしてウィルヘルムの紹介もあり、地方官の職にありついた。忙しさでロッテのことを忘れられるかと思いきや、上司と折り合いがつかず、そんな日々は長く続かなかった。そしてそんな辛いときウェルテルは自分を幸福でいっぱいにしてくれたロッテのことを思い出す。
遂にウェルテルは宮廷に退官を申し出て、再びロッテのもとに行くことに決めてしまう。しかし戻ったときにはロッテはすでにアルベルトと結婚していて妻になっていた。更に後家さんの女主人に恋をしている作男は手を出してしまいクビになっていて、昔知り合った子供は死んでしまっているなどウェルテルを待っていたのは悪い知らせばかりだった。
ある日、ウェルテルは散歩中に一人の狂った男に出会う。その男は秋に「恋人のために花を探している」と言い、力なくうろうろしていた。話を聞いてみるとその男もロッテに恋して叶わず、発狂してしまったのだと言う。
また、先ほどの作男は遂に嫉妬に狂い女主人の結婚相手を殺してしまっていた。同情し助け出そうと思うも彼はもう殺人犯で助けられることはなかった。その救われない男たちにウェルテルは自分の運命を重ねてしまう。
ロッテとアルベルトが結婚してからも、2人が温かく迎えてくれたので交流を続けていたウェルテル。ウェルテルはアルベルトのことを自分とは違う立派な人間だと認め尊敬していたが、やがてそんな心も急速に崩壊していく。
しかしこんなことをいってもいいんだろうか。悪いわけはない、ウィルヘルム。ロッテはぼくと一緒だったほうがずっと幸福だったろうと思う。アルベルトはロッテの心の願いをすべて満たしてやれる人間じゃない。感受性にある欠陥がある。
ぼくだけがロッテをこんなにも切実に心から愛していて、ロッテ以外のものを何も識らず、理解せず、所有もしていないのに、どうしてぼく以外の人間がロッテを愛しうるか、愛する権利があるか、ぼくには時々これがのみこめなくなる。
ある日、アルベルトの留守中にロッテとウェルテルが会っていると、ロッテはウェルテルに詩を朗読させる。その詩は内容は英雄の悲劇を描いたもので、2人はこれが自分たちの境遇にそっくりであることに気が付くと涙を流し感動する。そしてそのままウェルテルはロッテにキスをする。
「もうこれが最後です、ウェルテル。もうお目にかかりません」ロッテはそう言い残して部屋を去ってしまった。
ある日、ウェルテルは従僕にアルベルトの家に手紙を届けさせる。内容は「旅行に出かけようと思いますので、恐縮ですがピストルを拝借願えますまいか。どうぞごきげんよう」というもの。やがてウェルテルは少年からピストルを受け取り、それがロッテの手によって渡されたものだと知ると、喜んで引き金を引くのだった。
感想
この小説は学生の頃結構好きだったのだけど、大人になってから読むとなかなかウェルテルに感情移入することは難しく、ウェルテルのロッテを世界だと思い込んでしまう視野の狭さには終始すんざりしてしまう。でも、それでもやっぱりここで描かれるあまりに純粋な破滅に惹かれないわけにはいかない。
学生の頃この小説が好きだったのは、文学や絵が好きで繊細な感性を持っていて、それが故に傷つきやすく恋愛で上手くいかない青年というのがあまりにも普遍的で親しみやすかったから。1774年、日本で言う江戸時代の中期(なんと解体新書が刊行されたのと同じ年)にこんなにも理解しやすい文学があったということにまず驚いた。
でも改めて読んでみて個人的に惹かれたのはウェルテルはもともと「死に対する憧れ」があったということ、そして自分と似た境遇の人間がたどる悲惨な運命を目にしていくうちにそれに憑りつかれてしまったということなど恋愛以外の要素が多い。そしてそんな環境の中で出会ったロッテが自分にとって唯一の希望だったというところにどうしようもない危うさと魅力を感じてしまうのだ。この小説にはウェルテルが本当に夢遊病の患者のようにふらふらとロッテに吸い寄せられているような空気感がある。
また、アルベルトという自分とは全くの正反対の快活な青年にロッテを奪われてしまったことも、ウェルテルが自分を認められなくなった理由だったと思う。いかに正反対だったかは「自殺を認めるかどうか」を2人が話し合っているシーンに顕著に表れている。ウェルテルは精神的な病も本当のウイルスのように心身を蝕むものだと理解していたが、アルベルトは終始「自殺する奴の気が知れない」という考え方だった。
ウェルテルを通して語られるゲーテの言葉は現代にも通じる考え方というか、「不機嫌は怠惰なんだ」という言葉には改めてはっとさせられた。
「自分をもはたの人をも傷つけるものがどうして悪徳じゃないんでしょうか。(中略)むしろこの不機嫌はわれわれ自身の愚劣さにたいするひそかな不快、つまりわれわれ自身にたいする不満じゃないんですか。」
「不機嫌が悪徳なんて言いすぎじゃないですか」とある青年に聞かれた際、ウェルテルはこう答える。そしてこのような人間は暴君だと言い、「不機嫌によって台無しにされた誰かの大切な一瞬を償うことはできない」ということを熱心に語る。これはもうこの小説の発行から200年以上経った現在でも考えさせられるテーマだと思った。
「若きウェルテルの悩み」は単に恋愛だけの小説ではなく、人間の生き方に関する示唆に富んだ小説で、人間の精神の脆さについても考えさせられる時代の制約を超えた名作だと思う。是非物事をじっくり考えこみたい気分の時に手に取ってみて一度読んでみて欲しい。