ぼくが仕事を辞められずにいるうちは、
本当の自分というものがまったく失われている。
それがぼくにはいやというほどよくわかる。
仕事をしているぼくはまるで
溺れないように、できるだけ頭を高くあげたままにしているみたいだ。
それはなんとむずかしいことだろう。
なんと力が奪われていくことだろう。(引用:絶望名人カフカの人生論 第七章:「仕事に絶望した!」|新潮文庫)
上記はカフカのエッセイ「絶望名人カフカの人生論」に書かれている。
プラハの労働者災害保険局に勤務しながら小説を書いていたというカフカ。
仕事で息が詰まりそうになりながらなんとか食らいついて働いている人にとって、カフカが言わんとしているこの息苦しさ、自分らしさの喪失感は痛いほど分かるのではないだろうか。
カフカの代表作「変身」は、そんな仕事の重圧に苛まれたネガティブなサラリーマンにこそ読んでほしい小説になっている。
カフカ「変身」の簡単なあらすじ(ネタバレあり)
ある朝、布地販売員の青年グレゴール・ザムザは、目覚めると巨大な毒虫に変わっていることに気づく。
グレゴールは体をうまく動かせず、仕事への不満を考えながら時間を無駄にしてしまう。家族や職場の支配人が心配して様子を見に来るが、グレゴールの異形の姿を見た家族は驚き、支配人は逃げ出す。父親に追われたグレゴールは自室に閉じ込められることになる。
その後、妹グレーテが世話を続けるが、次第に彼女の態度は冷たくなる。大黒柱を失った一家は倹約生活を余儀なくされ、隠居生活を始めていた父も再就職する。
家族はさらに生活を切り詰め、一部屋を下宿人に貸し出す。しかしある日、妹のヴァイオリン演奏に感動したグレゴールが部屋を出ると、下宿人たちは怒って家を去る。この事件をきっかけに家族はグレゴールを見放し、彼は孤独の中で命を落とす。
彼が亡くなったことによって、家族は気持ちが晴れやかになり、希望のある毎日を送ることができるようになった。
朝起きたら、自分が巨大な毒虫になっていたというところから始まり、最終的には家族から見放され孤独に死ぬというのがざっくりとした「変身」のあらすじだ。
「なぜ虫になってしまったのか」という部分は明かされず、いきなり虫になってしまい全てを失うという理不尽に見舞われることから「不条理文学」なんて呼ばれたりもする。
「変身」に対する文学的な考察はたくさん行われているので、今回は社畜ネガティブサラリーマンとして生きている筆者目線で感じた感想を紹介したい。
「変身」の感想・考察
虫になるしか、この重圧を逃れる方法はなかった
虫は、働かなくて良い。
虫は、誰とも話さなくて良い。
虫は、誰からも期待されない。
虫は、その姿自体が気持ち悪く、外見を綺麗に保つ必要もない。
グレゴールは虫になったことで全てを失い、孤独な最期を迎えたが、あらゆる責任から逃れる方法の最適解が「虫になること」だったのもまた事実ではないだろうか。
グレゴールは虫になった瞬間も仕事に対する不満を考えるくらい、脳内を仕事に洗脳されていた。
そのうえ、両親には借金があるにも関わらず働き手はグレゴールだけ。両親、妹の3人を養い続けないといけないというプレッシャー。
虫になったことはグレーゴルをこの重圧から解放し、それにより彼は全てを失うことになった。
虫になってもならなくても不幸
責任を持たない「虫」という存在になったものの、そうしたら今度は家族との関係や全てを失い、孤独に死んでしまうという救いようのなさ。
結局、人間が人とのつながりを維持できるのは、見た目を維持することや働くことも含め、「誰かに対する責任」を全うしているからであるという残酷なオチなのだ。
「働きたくない」そう願いつつも、働くのはきっと、自分の生活のためでもあるが自分の周囲にいる誰かに対して、責任を放棄しているような気持ちになるからではないだろうか。
「変身」では、「虫になる」という現実離れした物語のため想像がつきづらいが、例えば仕事をせず、話もせず、風呂にも入らず不潔な姿のまま家で引きこもっていたとしたら、手を差し伸べてくれる人間はどのくらいいるだろうか。
責任を果たさなくなった人間に対して人間は残酷であり、「仕事」という重圧と必死に向き合っても向き合わなくても地獄なのが人生であるというカフカの悲観的な人生観を感じる。
「仕事」という重圧からはきっと一生逃げられない
「変身」を読んで思った。「仕事を辞めたい」と毎日のように思いながらも、この重圧からはきっと一生逃げ切れないことを。
小説の中では「責任を放棄したら見放されるんだから、そうならないよう頑張ろう」なんて安っぽいことは書かれていない。
残ったのは後味の悪さだけであり、息苦しさの解像度が上がっただけのように感じられた。
「普通」や「昨日までの自分」でいられなくなることは誰にでも起こりうる。そうなった時にどれくらいの人が近くにいてくれるのか数えようとしただけで怖い。
そして自分自身も、周囲の「普通」でいられなくなった人に対して、疎外せずその背景や気持ちを想像できる優しい人間でいれるか問い続けたい。
「普通」でい続けることは苦しく、難しい。だからこそ「変身」が、そのレールから外れた自分自身や周囲の人間に対する見方を少しでも優しくするための契機になれば、この後味の悪さにも意味があるかもしれないと思った。
カフカ「変身」に出てくる名言
カフカ「変身」にはさまざまな印象に残る言葉が登場する。
もう少々眠って、こういう途方もないことを全て忘れてしまったらどうだろうか。
虫になったときに思う主人公の心情。
今起きている問題と向き合うよりも、眠って全て忘れてしまいたいと感じるのは、やりたくない仕事から目を背けるのと少し近いかもしれない。
グレゴールは日々の仕事で疲れていて、もう自分の身に起こった異常事態と向き合う気力さえもあまり残っていなかったのかもしれない。
今これほど自分に会いたがっている連中が自分の変わり果てた姿を目の当たりに見たらなんと言うだろうかと彼はワクワクした。
グレゴールが虫になったことを楽しみ始めるという奇妙な場面。
「責任」という重圧から解放されたことによって、彼はこんなことを思い始める。
「全てを失った人間は無敵」というが、グレゴールも絶望の中でそれに近い感覚を一瞬味わっている。
この、早起きというやつは人間をうすばかにしてしまう。
人間はたっぷりと眠らなければいけないのだ。
早起きをして仕事をするのが苦痛な人ほどこれはよくわかる一節なのではないかと思う。
人間はたっぷり眠るべき。これ以上に心身ともに健康でいるための秘訣はない。
「変身」は一種の夢である
カフカは「変身」に対してあまり多くのことを言及していないが、夢を描いているということは明言している。
つまり、「変身」とはとんでもない悪夢であり、潜在意識で「責任から逃れたい」と感じていたからこそ見た夢でもあるのではないかと思う。
当然虫になって、全てを失うことを望んでいたわけではないと思うが、それでもこの現実から逃げたいという気持ちが見せた夢だと個人的には思う。
おまけ:絶望名人カフカの人生論
「変身」で感じられたカフカの悲観的な人生観が好きな方はぜひ「絶望名人カフカの人生論」も手に取って読んでみてほしい。
カフカのネガティブさや無気力さは現代のSNSで見られるものと近い空気感を個人的には感じているし、これを読むことで「変身」で感じた人や人生の不条理をよりストレートな表現で感じることができる。
日々の辛いことから逃げ出したくなったら、本の世界の中で好きに逃げてみるのもいいのかもしれない。
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