Stereolab「Emperor Tomato Ketchup」アルバムレビュー

寺山修司のカルト映画からつけられたアルバムでもあるStereolabの4作目「Emoeror Tomato Ketchup」。
二元論の止揚というテーマを内包し、近未来的にも時代錯誤にも思えるサウンドが楽しめる必聴盤!

1996年にリリースされたStereolabの代表作とも言えるアルバム「Emperor Tomato Ketchup」。

アナログシンセを駆使し、トータスのジョン・マッケンタイアがプロデュースを手掛けたことでも知られている。

90年代、クラウトロックの潮流を汲んだポストパンク、ニュー・ウェーブの波がひと段落し、ブリット・ポップやグランジへと移行していた頃、Stereolabはフレンチポップやノイズなどの実験音楽、クラウトロックを思わせるリズムを利用した楽曲などその中でもどこか異質だった。

このアルバムのタイトル「Emperor Tomato Ketchup」は1970年に公開された寺山修司のカルト映画「トマトケチャップ皇帝」からつけられた。映画の内容はかなり実験的というか、前衛的な内容で今だったら数々の規制に引っかかること間違いなしの問題作だ。

映画では「トマトケチャップが大好きな子供が覇権を握った帝国」という設定で子供の自由を束縛した大人たちに極刑を言い渡したり虐殺したりしていく。それも仕返しというよりはむしろ好奇心に裏打ちされた行為であるところがなんとも恐ろしい。

このアルバムはそんな無邪気で残酷に振舞う子供たちを描いた「トマトケチャップ皇帝」というタイトルをつけて、「大人は権力にまみれた悪で子供は純粋な善である」という安易な二元論的思考に対する皮肉から人間の集団形成の本質的な欲求などのテーマを内包している。

このアルバムはアナログシンセの絶妙な不安定サウンドと謎の軽やかさ、そして変化球ながらもポップなところに帰着しているところがなんとも癖になる。初めて聴いたときはきっとカオスな感情に支配されること間違いなしの作品だが、個人的にはステレオラブのアルバムの中で一番リピートしてるアルバムだと思う。




1曲目「Metronomic Underground」はなんだかノイみたく単調で規則的なフレーズの繰り返しによって構成されている。ギターとドラムの単調なグルーヴからオルガンシンセやベース、ノイズがだんだんと合流していく感じだ。しかも繰り返し歌われる内容が「crazy, study, a torpedo; crazy brutal a torpedo」(どうかしてる、頑丈な、魚雷、どうかしてる、野蛮な、魚雷)なのだからオープニングから悪夢を見ているみたいな感覚がすごい。

その調子のままいくのかと思ったら2曲目「Cybele’s Reverie」(邦題:キベレーの幻想)は少し毒が抜けたようなキャッチーな曲だ。アルバム全体の中ではかえって異質とも言えるけど、一番聴きやすく癖がない。全編フランス語の楽曲なんだけど、「子供時代の方がずっとすてき 子供時代は魔法をもたらす」というフレーズが印象的。傍若無人に残酷な振舞いをする子供たちを描いたトマトケチャップ皇帝の内容を踏まえているのか、そんな考え方は幻想だと皮肉っている。

そして日本盤のボーナストラックに入ってる曲「Briditte」。ブリジット・フォンテーヌというフランスのアヴァンギャルド・ミュージシャンの名を引用し、彼女のことを「善悪二元論者ではなく、私の痛みを表現してくれる」と歌っている。このフレーズはBFを歌ったものにも関わらず、このアルバムのテーマが詰まっていると思った。このアルバムは何が善で何が悪なのか、分かりやすい枠組みを作って敵対してしまう人間に対する1つの警鐘のように感じる。

まとめ

全体を通して、アナログシンセのチープなサウンドが好みだった。近未来のようにも感じるし、時代錯誤のようにも感じる不思議な音がなんとも心地いい。そして「Emperor Tomato Ketchup」は異空間にトリップできるようなサウンドはもちろん、抽象的なテーマを内包していて人によって様々な解釈ができるところが面白いなと改めて思った。是非一度聴いてみて欲しい。

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