ボーンズアンドオールネタバレ&徹底考察!カニバリズムと青春ロードムービー

・公開年:2022年(アメリカ)
・原作:カミーユ・デアンジェリスによる同名小説(2015年)
・監督:ルカ・グァダニーノ
・脚本:デヴィッド・カイガニック
・出演:テイラー・ラッセル、ティモシー・シャラメ、マーク・ライアンス

2023年2月に日本でも公開された映画「ボーンズ・アンド・オール」

カニバリズム(食人)と青春恋愛という異色の要素を掛け合わせた映画になっています。

「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノ監督とティモシー・シャラメがタッグを組み、主演には「WAVES」のテイラー・ラッセルが監督直々の指名で抜擢されています(監督も「WAVES」を観てぴったりだと思ったそうです)。

今回はネタバレを踏まえた上であらすじを振り返りつつ、以下のことを考察していきます。

・ラストシーンの解釈(食べた後に映った2人の意味は?)
・サリーの立ち位置、意味
・マレンの母親は何を表しているのか
・なぜマレンは一度いなくなるのか
・リーとマレンの生き方の違い
・この映画のテーマ、描きたかったこと
・改めてこの映画の魅力は何なのか




「ボーンズ・アンド・オール」のあらすじ

(出典:https://wwws.warnerbros.co.jp/bonesandall/)

舞台は1988年のバージニア州。18歳のマレン(テイラー・ラッセル)は友人の家に泊まりに誘われた際に、その友人の指を食いちぎってしまうという事件を引き起こします。

血まみれで帰ってきたマレンを見た父のフランク(アンドレ・ホランド)は事態を理解しメリーランドへと急いで引っ越します。

ですが、マレンが人を食べてしまうのは初めてではなく、その少し後にフランクはカセットテープと出生証明書を残し、「もう会うことはない、助けられない」と姿を消してしまいます。

実は、マレンは3歳の時にもベビーシッターを食い殺していました。こうしたことがあるたびにフランクは助け、「いつか普通の女の子になる」ことを信じていましたが、それももう限界がきていたのです。

出生証明書を見たマレンはたった1人でミネソタ州に向かい、母に会いにいこうと決意します。

その道中、マレンはサリー(マーク・ライアンス)という老人に出会います。彼はマレンを匂いでイーターだと嗅ぎ分け「最後に食べたのはいつだ?」と質問します。サリーもまた、同族でした。

マレンはサリーに誘われるまま家に行くことにし、その部屋で瀕死状態の老女を発見します。彼が食べるために連れてきたもう先の長くない老女でした。

最初は「助けを呼ばなきゃ」と抵抗していたマレンでしたが、サリーと一緒にその老女をむさぼり食べてしまいます。

しかし、今まで食べた人の髪の毛で作った数メートルにもわたるロープを作って大事にしているサリーを見て、不気味さを感じたマレンは逃げ出してしまうのでした。

サリーから逃げ出してインディアナ州へと辿り着いたマレンは、必要な物を万引きするために店に入ります。

そこで、1人の男性客が女性客に失礼な言葉を浴びせているのを見かけ、マレンが注意すると店員が止めに入ってくれます。

マレンが外に出ると、止めに入ってくれた血まみれの店員と遭遇し「奴は向こうで死んでいる」といわれます。マレンは匂いで彼が同族であることに気がついていました。

マレンは彼に声をかけると彼はリーと名乗り、「一緒に乗っていくか?」とぶっきらぼうながらに言います。そしてマレンは彼と一緒に食べた男の家で一晩を過ごすことにしました。

2人は惹かれ合うようになり、リーはマレンの母親を探すのを手伝うと言ってくれるようになります。

旅の途中の森の中で、マレンとリーはジェイク(マイケル・スタールバーグ)とブラッド(デヴィッド・ゴードン・グリーン)という2人組に出会いました。1人は同族で、もう1人は人を食べないが人を食べるのを見てるのが好きな警察官という不思議な2人でした。

ジェイクは肉だけではなく「骨まで食べる(ボーンズアンドオール)」のだと語ります。同族にも関わらず不気味さを感じたリーとマレンは眠っている間に2人の元から離れました。

そこから少し時が経ち、リーとマレンは遊園地に立ち寄ります。そこでリーはゲイを装いナンパする振りをして1人の男を食い殺してしまいます。

しかしその後、その男の家に寄ってみると連絡が取れず心配している妻と子どもがいるのが分かります。マレンは彼に家族がいたことを知り後悔しますが、リーは「知らなかったんだ。仕方ないだろ」と、少し苛立ってしまいます。

2人はその後マレンの祖母バーバラ(ジェシカ・ハーパー)の住所を知り、母のことを聞き出すために訪れます。バーバラから母が精神病院に入院していることを聞き、2人は病院へと向かいます。

病院で母と再会することができましたが、母には両腕がありませんでした。母もまた人食いで、人を襲わないように自分の意思で施設に入っていたのです。

母が15年前に書いたという謝罪文を読んでいると、母は突然マレンに襲いかかってきます。自分と同じ運命を辿る娘を止めようとしたのでしょう。

マレンはリーの元に慌てて逃げましたが、母親に憤るあまりリーとも口論になってしまいます。そしてリーが眠っている間にお金を置いて出ていくことにしました。

マレンが1人になると道中でサリーと再会します。サリーはメリーランドからマレンをずっとつけていたと言いました。サリーはマレンに自分のバンに乗るように言いますが、やはり彼に不気味さを感じているマレンはそれを拒否します。拒否されたサリーは態度が豹変し、マレンのことを罵って去って行きました。

(出典:https://wwws.warnerbros.co.jp/bonesandall/)

一方リーはマレンがいなくなったことにひどく動揺し、妹や母親のいる地元へと帰ることにします。そしてしばらく経ってからリーのいる湖を訪れたマレンと再会します。

2人は再度ドライブを始め、今度は西部へと向かいます。そこでリーは過去に人喰いの父親に襲われそうになり、彼を食べたことを泣きながらマレンに告白します。マレンは受け止めて、彼にひたすら愛を伝えます。

ミシガン州で2人は働きながら同棲し、「普通の暮らし」を始めました。そんなある日、サリーがアパートに侵入しマレンを襲います。なんとか途中でリーが気が付きサリーを殺害しますが、リーも致命傷を負ってしまうのでした。

救急車を呼ぶこともできない中でなんとかリーが助かる手立てを探すマレンでしたが、リーが「骨まで食べて欲しい」と言います。マレンは拒否しますが、リーが助からないことを悟ったマレンは最後には彼の願いを叶えてあげるのでした。



ボーンズアンドオールの考察・解説

タイトルの意味

タイトルの「ボーンズアンドオール」は、途中に出てきたジェイクとブラッドが言っていたように「骨ごと全て食べること」を意味しています。

ただ、ジェイクとブラッドはそれを快感を得る行為としてリーとマレンに説明していましたが、最後にマレンがリーを骨ごと食べたのは「リーと一つになるため」であり、愛情の究極の形とも言えます。

同じ行為でも意味合いが異なるところもこの映画の考えさせられる部分です。

ラストシーンの解釈

先ほども少し触れましたが、最後、マレンはリーの願いを叶えて骨ごと食べて彼と一つになりました。

そして、最後に草原で2人がぴったりくっついてる姿が映し出されてこの映画は幕を閉じます。

マレンはリーを食べてしまったのでその部分は現実ではありませんが、2人が精神的に1つになったのが示唆されている美しい終わり方です。

人を食べるという大衆にとっては理解されない行為でも、2人にとってはハッピーエンドの形であることが牧歌的な美しい背景とリンクしていてすごく良いシーンだと感じました。

サリーの立ち位置と意味

この映画でなんと言っても強烈だったのが、マーク・ライアンス演じるサリーではないでしょうか。

彼はマレンにとっては同族であり、孤独で、自分を理解してくれる人を必死に探していました。

そして、やっと見つけた同族であるマレンに固執し、結局拒絶されてしまいます。

しかしそれはリーもマレンも同じです。自分を理解してくれる人を探してますし、過去を受け入れて欲しいとどこかで願っています。

彼が違うのは年齢と、孤独でいる期間が長すぎたために必要以上に人に執着しすぎてしまったことではないでしょうか。

これはあらゆる人間に言えることで、「老い」と「孤独」がもたらす残酷さと醜さ、そしてマレンとっては「自分もいつかこうなってしまうのでは」という将来に対する大いに恐怖を植え付けたはずです。

だからこそマレンはサリーを不気味だと感じ拒絶してしまうのです。

マレンの母親は何を表しているのか

マレンの母親はマレンにとってバッドエンドの象徴だったのではないでしょうか。

娘や父親を愛していたにも関わらず、人を食べてしまうという体質のせいで腕を失い、家族を失い、孤独で精神病院に入院しています。

サリー同様、母親の存在も強烈にマレンに将来への不安を植え付けたはずです。

また、母親は誰でも食べてしまうような人間ではなく、葛藤があった上でそうなったからこそ、サリー以上に自分に近い存在だったと言えます。



なぜマレンは一度リーの元を去るのか

マレンがリーの元を去ったのは2つの解釈ができると思っています。

・母親のようにいつかリーのことも食べてしまうのが怖くなった
・リーの考え方に違和感を感じた

もちろん時系列的に母親を見て怖くなったという部分はあると思います。

ただ、個人的には、遊園地で家族がいる男を食べてしまった後に「仕方なかったんだ。知らなかったんだから」と言い残したリーに対して少し違和感を感じていたのもあるのではないかと思いました。

マレンは一貫して、自分の中の哲学や生き方を模索しています。だからこそ、サリーと出会った時のように「自分はこうはなりたくない」と感じたら拒絶して1人になろうとしていました。

また、家族がいる男性を食してしまったことにひどく後悔していますし、リーの態度を見て少し憤っています。愛情が無くなったわけではないと思いますが、考えを整理する時間が欲しかったのではないかと感じました。

この映画は一貫して様々な同族との出会いを通して、マレンが「自分はどう生きるべきか」を探す旅なのではないかと思います。

音楽と風景の美しさ

「君の名前で僕を呼んで」のルカ・グァダニーノが切り取る牧歌的な風景は、人を食べるというグロテスクなシーンとあまりに対極にあり、とにかく美しくて印象的でした。

また、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーとアッティカス・ロスが手掛けた音楽もマッチしていました。ルカ・グァダニーノは特に店でリーとマレンが出会うシーンの音楽がお気に入りだとこちらの動画で話しています。

個人的にはアメリカの田舎の風景をバックに、New Orderの名曲「Your Silent Face」が流れるシーンにとにかく圧倒されました。

ボーンズアンドオールのテーマ

この映画のテーマは食人という異質なものではなく、「マイノリティー的な立場である少女がどうやって生きていくのかを探す」というところにあると思います。

だからこそ、快楽のために人を骨ごと食べるジェイクとブラッドや、自分が迎えてしまうバッドエンドの象徴のように思える母親やサリーを拒絶し、そして考え方が受け入れられなくなったリーの元を一度去ってしまうのです。

道中で同族ばかりたくさん出てくるのも、ご都合主義的な展開なのではなく、そういった部分を描きたかったのだと感じました。

まとめ

「ボーンズアンドオール」は1人の少女が自分の生き方を探す旅路を描いた映画であり、食人という異質なテーマを扱いながらも、普遍的な部分もある映画だと感じました。

この辺りはゲイの男性2人の恋愛を、マイノリティーの恋愛ではなく恋愛映画として昇華した「君の名前で僕を呼んで」にも少し似ています。

そして、ルカ・グァダニーノ自身がゲイであることもあるのかもしれませんが、彼のマイノリティーへの視線の優しさを感じる作品でもありました。

グロシーンは割と容赦せずに描かれているので観る人を選ぶ映画なのは間違いありませんが、是非見て欲しい1本だと思います。



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