作品と人間性は別かー小山田圭吾のいじめから音楽ファンが思うこと

ミュージシャンやアーティストが何か問題を起こして話題になるたびによく議論になる。作品と人間性は別なのか。

先日、五輪の音楽を担当することになっていたCornelius小山田圭吾は、過去のいじめ問題が炎上し、担当を外されることになった。

私はCorneliusが好きで、フリッパーズ・ギターが好きで、98年生まれの私は完全に後追いだがCDもレコードも買って聴いていた。

サブスクがまだ浸透しておらず、アーティストも全然揃っていなかった頃、同級生から「ヘッド博士の世界塔」を借りてスマホに音源を入れたりしていたこともまだ記憶に新しい。

だからこそ、元々このいじめインタビューについてはもちろん知っていたのだが、今回炎上したことにより多くの意見を目にして、この件について見つめ直すことになった。そして「これが炎上する世の中で良かった」と思う。

音楽が好きな人ほど言う、作品と人間性は別だと。

何か問題が発覚したからと言って、その人が作ったものやそれを好きでいた自分、その音楽に感動した体験まで否定することはもちろんないと私も思う。

でも、今回の小山田圭吾がやったいじめとそれを嬉々として語ったインタビューが世間一般的に知られてしまった以上、それは批判されるべきだし、それを「過去のことだし、自分が何かされたわけじゃないから」と流すことの方が怖いと私は思った。そして、Corneliusの音楽が好きだったにも関わらず、「こんな人の音楽なんて聴きたくない」と言っている人たちの方に強く共感してしまった。



誰かを「叩く」という行為について

匿名のネットの世界で誰かを叩くという行為は、陰湿で卑怯な行為の代名詞のように語られる。

Radioheadが「Burn the Witch」という曲で世の中に警鐘を鳴らしたように、ターゲットを見つけては吊し上げ、逃げ場のないように追い詰めていく姿は現代の「魔女狩り」と言えるかもしれない。

もちろん誹謗中傷や、住所を晒し上げたり、関係のない身内にまで非難が及ぶのは当たり前に間違っている。

でも、今回のいじめについて反響の多かった意見は「このいじめを受けたのが自分だったら」とか、自分の障害を持った身内と重ねて憤慨してやるせなく感じたりとか、そういう意見のように見えた。

もちろん中には抱えているストレスの憂さ晴らしに過激な言葉を使って攻撃した人もいただろうが、そういう人が全てではない。

様々な意見の中でこんな意見を見かけた。「自分が何かをされたわけでもないのに、そんな非難することなのか」と。しかし、少なくとも「Corneliusは自分にとって気持ちの良い音楽を作ってくれるから、過去にどんなことをしようがどうだって良い」とか「自分が好きなミュージシャンに使ったお金がどんな人間に流れて、どう使われていようがどうだって良い」と、問題を自分事だと思えず、無関心を決め込んでいる社会よりは、自分とは全く無関係でも、自分のことのように想像しながらあれこれ議論している社会の方がよっぽど健全だと思えるのは自分だけなのだろうか。

交際女性に強制わいせつで訴えられたUSのインディー・ロックバンド、PinegroveのEvanはSNSで「レイプ魔」とか「死ね」と言われたことを涙ながらに語っている一方、批判されることに対しては、こんな風に発言している。

「僕たちは”こんなことは気にしない”というリスナーは欲しくない。僕たちはこんなことを気にしているんだ。僕は”このバンドが好きだから、この状況は理解できない”という人たちよりも”この状況は理解できないし、このバンドはクソだ”という人たちにずっと共感できる。僕たちは虐待の被害者を支えて、男性支配的な構造を解体することに完全に賛成するし、そういうことを気にしないリスナーとの関係には興味がないんだ」(http://monchicon.jugem.jp/?eid=2242#gsc.tab=0

ミュージシャンの女性関係での問題と言えば、日本だとBUMP OF CHICKENのチャマの件が記憶に新しい方もいるかもしれないが、日本ではその男性支配的な社会の構造や、リスナーに対しての問題提起を行うような発言はなかなか見られない。

しかし、盲目なリスナーがアーティストにとって害悪な存在だとよく言われているように、この件から少しずつアーティストとリスナーとの関係性がどのようにあるのが理想なのか考えても良いように思えてきた。

Corneliusの音楽について

今でもCorneliusの音楽は好きだ。

「Fantasma」のChapter8を聴いた時はその夏の気配とノスタルジーに今でも心が踊るし、作詞したのは坂本慎太郎だが、「あなたがいるなら」は今でも史上最強のラブソングなんじゃないかと思うことさえある。

でも、ちょうど「Mellow Waves」が発売された頃、何かで検索して当時のクイック・ジャパンのインタビューを読んでしまった日のことは今でも覚えている。

せっかく買ったこの新譜も捨ててしまおうか。当時大学生でなけなしのお金をはたいて買ったCDを見つめながら、とにかく感情がぐちゃぐちゃになってそんなことを思った。

でもそれでもそこに収録されている音源は心の底から素晴らしくて、坂本慎太郎の手が加わっているという事実に少しばかり救われて結局今でもCDラックに並べてある。

作品とその人のプライベートの行いに対する評価はもちろん別でありながら、その双方に関して無関心でいてはいけないし、中道派でいることを高尚なことのように気取るのはやめようと、1リスナーとして改めて強く思った。